「心の奥の狼」

ある古びた屋の一室に、佐藤という名の青年が住んでいた。
祖父の代から受け継がれたその家は、長い間、人の手が入っていないかのように、厳かな静けさに包まれている。
しかし、この家には一つ、不気味な噂があった。
夜になると、狼のような声が聞こえてくるというのだ。

佐藤はその噂を気にせず、静かな日常を送っていた。
彼が住むこの家は、彼の思い出が詰まった場所だった。
特に、幼いころに祖父から語られた物語を思い出すたび、心が温まったものだ。
しかし、時が経つにつれて、彼の心には「間」というものが芽生え始めていた。
家が老朽化していく様子と、自分の成長との間に、どこか埋めようのない溝を感じ始めたのだ。

ある晩、書斎で物思いにふけっていた佐藤は、ふと外に目を向けると、月明かりに照らされた庭に一匹の狼が立っているのが見えた。
その狼は、目が合った瞬間、まるで彼の心の奥を見透かすようにじっとこちらを見つめていた。
佐藤はその瞬間、何かに引き寄せられるような感覚を覚えた。
自分の心に潜む悩みや不安、そして失われてしまった母との思い出が、まるでその狼に食い尽くされてしまうかのような錯覚に陥った。

それから数日、佐藤は毎晩その狼の姿を見つけるようになった。
彼はその存在に魅了される一方、どこか不安を感じていた。
そんなある夜、ついに狼が彼の前に現れた。
部屋の隅に、いきなり現れたその姿は、まるで彼の心の中から湧き出たもののようだった。
「お前は、どうしてここにいるのか?」佐藤が恐る恐る尋ねると、狼は静かに近づいてきて、その目を真っ直ぐに見つめた。

「私は、復讐のために来た。」

その言葉は、まるで震えるように佐藤の耳に響いた。
驚愕と恐怖で言葉を失った彼だったが、狼の眼差しはじっと彼を捕らえ続けた。
「復讐?誰に対して?」と尋ねると、狼は辛そうに口を開いた。
「お前の心の奥に封じ込められたものに対してだ。」その時、佐藤は初めて自分が抱えていた苦しみと向き合わなければならないことを悟った。
彼の心の中には、母が亡くなった時の「決して忘れない」という思いがあった。
しかし、その思いは次第に重荷となり、彼を押しつぶしつつあったのだ。

悩んだ末に、佐藤は言った。
「私はその思いを解放したい。ただ、どうすればいいのか分からない。」すると、狼は少しだけ口元を緩めた。
「それができるのは、お前自身だけだ。」

その言葉に勇気づけられた佐藤は、今まで目をそらしてきた母の思い出と向き合うことを決意した。
彼は毎晩のように狼と対峙し、母との思い出を語ることで少しずつ心の中にあった重荷を取り除いていった。
すると不思議なことに、毎回狼の姿は徐々に薄れていった。
それが解放への道だと気づいた佐藤は、ついに自分の心の奥にあった未練や苦しみを全て語り尽くした。

ある晩、彼が全てを語り終えると、狼の姿は完全に消え、代わりに優しい月明かりが照らし出された。
彼は静かに涙を流し、母がそばにいるような感覚に包まれた。
屋の中にあった「間」は埋まり、心の重荷が消えたことで、彼は新たな一歩を踏み出す力を手に入れたのだった。

それ以来、屋の静けさは優しさに変わり、狼の声も消えた。
そして佐藤は、母との思い出を大切にしながら、新しい日々を歩み始めた。

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