「微笑む木の下で」

彼の名は佐藤健一。
35歳の普通のサラリーマンで、仕事帰りにカメラを持ってぶらぶらするのが趣味だった。
特に好きだったのは、薄暗い夕暮れ時の公園での風景撮影。
彼はこの町の小さな公園を何度も訪れては写真を撮り続けていたが、ある日、思わぬ体験をすることになる。

その日はいつもより早めに仕事を終え、疲れを癒すために公園へと向かった。
公園は静まり返っており、健一はいつも通りカメラを構えて景色を収め始めた。
彼の目に留まったのは、中央に聳え立つ一本の木だった。
その木は、恐ろしいほどの存在感を放っていた。
古びた幹や広がる枝張りは、まるで彼に何かを語りかけているようだった。

健一はその木を撮影しようとした。
しかし、シャッターを切った瞬間、何かが奇妙に感じられた。
木の写真の中に、誰かの顔がはっきりと映りこんでいた。
それは女性の顔で、穏やかに微笑んでいたが、何故か目が彼をじっと見つめているように思えた。

健一は不気味さを感じながらも、好奇心からその写真をSNSにアップロードした。
「この木、何か不思議な雰囲気がある」とコメントを添えて。
すると、友人たちから「あの木には霊がいるって言われてるよ!」というコメントが次々と寄せられた。
彼はそんなことを信じる性格ではなかったが、どこか心の奥で引っかかるものがあった。

数日後、再び公園を訪れた健一。
木の周りには少し人が集まっており、いつも以上に賑やかだった。
健一は不安を押し殺しながらもシャッターを切り続けたが、どうしても女性の顔が気になって仕方がなかった。
彼は再びその木の写真を撮ることを決めた。

しかし、その夜、奇妙な夢を見た。
夢の中で、彼は女性に出会った。
彼女は彼の目の前に立ち、「私を見つけてくれたのね」と微笑みかけた。
彼女の声は優しかったが、どこか冷たさを感じさせた。
彼は何か大切なことを思い出そうとしても、思い出せなかった。

夢から覚めた健一は、朝早くから公園へ足を運んだ。
だがその日は異常な寒さが漂っていた。
公園に着くと、木のところに一つの石が目に入った。
それは以前なかったもので、地面に埋もれたように置かれていた。
その石をひっくり返すと、見覚えのある名前が刻まれていた。
「佐藤美紀」と。
彼は驚愕した。
美紀は彼の亡くなった妹だったからだ。

彼の心の中で何かがざわざわと揺さぶられた。
木と美紀、彼女が何かを伝えようとしているのだろうか?その日以来、健一の中で彼女の存在が強く感じられるようになった。
夕方になると、木を見上げ、彼女のことを思い出すことが多くなっていった。
しかし、彼女の声はいつも届かず、何を求めているのか思いつかないまま日々が過ぎていった。

数週間後、再び夢の中で美紀が現れた。
「私を忘れないで。あなたも帰ってきて。いつかまた会えるはずだから」と言った。
彼は夢から覚めると、涙が止まらなかった。
彼女の言葉がずっと心に残り、何かを感じていた。
もしかしたら、彼女は彼を導こうとしているのかもしれないと。

その晩、健一はカメラを持って公園へ向かった。
しかし、その日は誰もいなかった。
木の前に立ち、彼は望んでいたことを口にした。
「美紀、私は帰ってきたよ。あなたのことをずっと忘れたくなかった。」すると、風が吹き、木がかすかに揺れた気がした。

それから数ヶ月が経つ中、健一の周りでは奇妙な現象が次々と起こるようになった。
知らない人たちが自分の写真に映り込んでいたり、視界の隅に美紀の気配を感じたり。
それでも、彼は笑顔を浮かべ、「君がここにいる限り、私は大丈夫だよ」と信じるように心の中で繰り返した。

こうして、彼の日常は少しずつ変わり始めた。
「帰る場所」を見つけた健一は、毎晩、公園で木の下に座り、彼女と語り合うことにした。
彼女の微笑みがいつも彼の心を温かく照らしてくれる。
たとえ肉体はこの世から消えても、心の中で彼は美紀とずっと一緒にいるのだ。
彼女が望んでいることを知って、自分もまた彼女に帰るための準備をしていた。

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