「待ち続ける者」

静かな秋の夜、京都の街並みが肌寒い風に包まれていた。
その日は、仲間とともに訪れた小さな旅館で、一晩の宿泊を予定していた。
旅館は古く、歴史を感じさせる佇まいだったが、どこか寂しさを漂わせている。
特にこの時期、山の紅葉が美しく、観光客は増えていたが、旅館に訪れる客の数は少なくなっていた。

旅館の宿主は初老の夫婦で、心温まるもてなしをしてくれた。
ただ、一つ気になる話があった。
宿主は、夜になると「然」と呼ばれる何かが現れると言った。
興味をそそられた私たちは、その話を真に受けることにした。

部屋に通された私たちは、夕食を囲むと共に、旅行の話や友人たちとの思い出話に花を咲かせた。
だが、少しずつ空気が不穏に変わり、いつの間にか会話が途切れた。
外には静まり返った山々の影があり、風の音が響き渡っていた。
その時、突然、部屋の窓が風に揺られて開き、冷たい空気が流れ込んできた。
皆、一瞬の静けさの後に、少しの恐怖を感じた。

「なんだか、妙な感じだね」と、友人の健二が呟いた。
同意するように私たちも目を合わせ、何か不気味なものを感じ取った。
夕食の後、浴衣に着替え、温泉に向かうことにした。
旅館の廊下は薄暗く、壁には古い掛け軸が飾られていた。
私たちは何かの気配を感じながらも、温泉につかることで緊張を解こうとした。

温泉には、私たち以外の客はおらず、静かな雰囲気が漂っていた。
湯の中でリラックスしようと試みたが、何度も「然」の話が頭に浮かび、意識が他の方向へ向かってしまった。
夜が深まるにつれて、次第に外から微かな声が聞こえてきた。
「いる、いるの?」その声は、まるで何かがこちらを探しているかのようだった。

「ねぇ、外に何かいるのかな?」と、私が言うと、友人たちは顔を見合わせ、恐怖が広がった。
湯から上がり、外に出てみることにした。
薄明かりの中、外に出ると月明かりが照らす、静まり返った庭先が広がっていた。

しかし、苗木の陰から微かな光が漏れていた。
私たちは思わず近づくと、そこには将棋の駒が並べられたような奇妙な光景が広がっていた。
友人の一人、朋子が駒を手に取ろうとした瞬間、周囲の風が一変し、冷たい霧が立ち込めた。
この霧の中から現れたのは、女の姿だった。
白い着物をまとい、長い髪が濡れたように垂れている。

「あなたたちは、私を呼んだの?」その声はまるで耳元でささやくようだった。
朋子は恐怖で声を失い、他の友人たちも固まった。
女は静かに一歩近づいた。
「ずっと待っていたのに、どうして気づかなかったのかしら?」その言葉に私たちの背筋が凍りついた。

「私の助けが必要なら、諦めないで」女の目は暗い水のように深く、私たちの心の奥をのぞき込んでいるようだった。
私たちは一瞬のうちに彼女から目をそらし、必死に逃げ出した。
逃げる途中、友人の健二が振り向いたとき、女はその姿を消し、再び静寂が戻った。

恐怖で震えながら部屋に戻ると、すぐさま窓を閉め、布団に潜り込んだ。
しかし、心のどこかに「然」を感じられる瞬間が漂っていた。

翌朝、私たちは恐怖から解放されたかのように、ついその話を忘れてしまった。
しかし、帰り道で友人たちと話していると、「あの女が本当にいるなら、次回また呼ぶことができるかも」と笑顔で語った。
けれど、それは完全に笑いで済まされるものではないと感じていた。

数年後、私たちが再び京都に訪れると決めたとき、一人の友人から「できれば、あの旅館には泊まるな」とだけ言われた。
そう、あの夜の出来事は心の奥底に深く刻まれ、決して忘れることがないのだ。
私たちの間では、何か呼び寄せるものがあるという言い伝えが生まれ、その話が語り継がれていくこととなった。

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