彼女、名を由紀と言った。
26歳の彼女は、一見普通のOLとして日々を忙しく過ごしているが、その心の奥底には常に「己を見失う」という恐怖が潜んでいた。
仕事のストレスや人間関係の悩みが積み重なるうちに、由紀は自分が本当に何を望んでいるのか、何が自分にとっての幸せかがわからなくなっていた。
ある日、由紀は会社帰りにふと立ち寄った古びた書店で一冊の本を見つけた。
その本の表紙には、不気味なシルエットが描かれており、「己を知るための旅」というタイトルが記されていた。
興味本位で手に取った彼女は、その本を購入し、帰宅することにした。
本を開くと、そこには自分の内面と向き合うための試練や儀式が詳しく書かれていた。
由紀の心は、好奇心と不安で揺れ動いていた。
しかし疲れた日々からの逃避も求めていた彼女は、試練に挑戦することを決心した。
その晩、由紀は本に従い、自宅で初めての儀式を行った。
部屋を暗くし、ろうそくを数本立てる。
静かな音楽を流し、心を落ち着ける。
彼女は本に書かれていた言葉を唱え始めた。
「己の影よ、現れよ」。
繰り返し言葉を紡ぐうちに、彼女の視界が歪み、ゆっくりと周囲が変わり始めた。
まるで時間が止まったかのように感じ、異次元にいるかのようだった。
その瞬間、目の前に現れたのは、もう一人の由紀だった。
彼女は穏やかな表情で微笑んでいたが、同時に不気味な雰囲気も漂わせていた。
「私は、あなたの影。あなたが忘れかけていた部分。どうしようもなく苦しい自分。本当のあなたの一部よ」と彼女は静かに告げた。
由紀は驚愕した。
自身にとって、全く知らない自分の姿がそこにいた。
でも、その存在は何か安心感も与えてくれた。
彼女は思わず言葉を投げかけた。
「どうしたら、私を取り戻せるの?」と。
影の由紀は微笑み、「理解することが必要よ。そして、恐れずに真実を受け入れること」と答えた。
彼女は心の奥底から孤独と不安を感じ、次第に涙が溢れた。
影の由紀は、彼女の流す涙を優しく受け止め、「それこそが、あなた自身を解放する第一歩。ただ放っておいてはいけないの」と続けた。
その後、由紀は彼女自身に向き合う決意を固めた。
影との会話を経て、自分の過去や現在の選択を深く見つめ直すことにした。
仕事を辞めることも、解消できなかった人間関係を見直すことも、必死で自分を知ろうとする過程となった。
放置していた心の内を正面から捉えたことにより、彼女は少しずつ自分自身を取り戻していった。
意識しなくても、彼女の中には光が差し込んでくる感覚があった。
だが、影の存在が完全に消え去ることはなかった。
時には心のどこかでささやき、彼女を迷わせるのだった。
それから数ヶ月後、由紀は自分を置き去りにすることがなくなり、無理をしない生き方を選ぶようになっていた。
しかし、ある晩、ふとした拍子に影の由紀が現れた。
「あなたは放っておいたはずの自分を見つめ続けている。でも、まだ完璧ではない。常に己を知り続けることが大切よ」と暗い声で警告する。
その言葉は彼女の心に突き刺さり、心がざわついた。
由紀はその後、つねに影がいることを意識し続けた。
影が教えてくれたことは、己の理解と受け入れを放棄しないこと。
影が自分を映し出し、恐れを内包するものであることを理解したからだ。
その日以来、由紀は新たな感覚を持ち続け、影への感謝を忘れなかった。
己を知ることは、恐怖の連続であるが、そこから得られる成長や解放的な体験もあるのだと彼女は実感していた。