「影を宿す犬」

夜の静けさが広がる小さな町、そこで飼い犬の太郎と暮らす佐藤翔太は、近所の不気味な噂を耳にしていた。
町の外れにある廃屋には「呪われた犬の影」が住んでいると言われ、その影に触れると不幸が訪れるというのだ。
翔太はその話に半信半疑だったが、太郎はいつも無邪気に走り回り、彼にとってかけがえのない存在だった。

ある晩、翔太はいつものように太郎を連れて散歩に出かけた。
暗い道を選びながらも、不気味な廃屋が見えてきた。
月明かりの中、そこには朽ち果てた木々と、荒れ果てた庭が広がっていた。
翔太は一瞬戸惑ったが、好奇心に駆られ、指示するように太郎に「行こう」と言った。

太郎は少し不安そうに翔太を見つめながらも、主人の後に続いた。
廃屋の近くに差し掛かると、突然太郎が吠え始めた。
「おい、どうしたんだ?」と翔太が尋ねると、太郎は廃屋の中を見つめていた。
その目の先には、何か動く影があった。

翔太は恐怖心に押しつぶされる思いで、その影を見つめた。
すると、影はゆっくりと近づいてきた。
それは犬の姿をしているが、目は赤く光り、その身体は黒い影に包まれていた。
翔太は心臓が高鳴るのを感じ、あわてて太郎を引き寄せた。
だが、太郎はその影に向かって興奮し、尻尾を振りながら近づいていく。

「やめろ、太郎!」翔太は叫んだが、太郎はまるで魅了されたかのように、その影の元へ走り寄っていった。
翔太は必死に太郎を制止しようとしたが、次の瞬間、太郎の動きが止まった。
影が太郎の身体に触れると、その瞬間、空気が変わり、影は太郎の身体に入り込むように見えた。

翔太は恐怖に凍りついた。
「太郎!」と叫ぶが、太郎の目には明らかな変化が見られた。
何かが彼の内側から変わり始めている。
その時、翔太の頭に浮かんだのは、町で語り継がれる“不幸”の真実だった。
もしこの影に触れてしまったら、呪われてしまうのではないかと、彼は強い不安に襲われた。

だが、その瞬間、太郎が低い唸り声を上げた。
「太郎、どうしたんだ!」翔太は恐る恐る太郎に近づいた。
すると、太郎の瞳に宿る光が消え、ただの黒い影のようになっていた。
翔太は急いで太郎を抱きかかえるが、太郎は暴れるように翔太の腕の中で身をよじった。

「お願い、戻ってきてくれ!」翔太は必死に叫びながら、太郎の首を撫でた。
すると、不思議なことに、太郎の動きが止まった。
影は少しずつ消えかけ、太郎の目にぼんやりとした光が戻り始めた。
しかし、それは以前の太郎とは明らかに違っていた。
何かが失われたような空虚な目をしていた。

翔太は急いで廃屋を離れ、道を走り出した。
太郎も一緒に走っていたが、その足取りは重く、どこか沈んだ様子だった。
帰宅しても、翔太はこの出来事が夢ではなく現実であったことを理解していた。
太郎の笑顔はもう戻らないのかもしれない、と心のどこかで思った。

翌日、翔太は再び廃屋に行くべきか悩んだ。
影の正体や呪いの意味を知るためには、もう一度あの場所に戻らなければならないと思った。
しかし、その一方で、太郎が再び影に触れることを恐れて足がすくむ。
結局、彼は決心がつかず、廃屋には近づかないまま日々を過ごした。

太郎との温かい時間は少なくなり、代わりに翔太の心には不安と後悔が重くのしかかっていた。
「影に触れてしまったことで、太郎が変わってしまったのかもしれない。」翔太はただ自分の無力さを感じるしかなかった。
これが己の選択の結果なのだと、心に刺さる痛みを抱えながら彼は日常に戻っていくのであった。

タイトルとURLをコピーしました