深い山里に、悠久の時を経た一本の大きな木がそびえていた。
その木は村人たちにとって神聖な存在であり、代々受け継がれてきた言い伝えがあった。
この木の下で願い事をすると、必ず叶うと。
村人たちはその言い伝えを信じており、特に子供たちは毎年一度行われる祭りの際に、この木に願いを込めて賑わっていた。
ある年の祭りの日、県外から来た青年、和也がこの村を訪れた。
彼は都会の喧騒を離れ、静かな時間を求めていた。
村の人々は彼に温かく接し、言い伝えの話を聞かせてくれた。
「この木にお願いをすると、必ず叶うんだ」と、子供たちが嬉しそうに話す姿に彼は興味をひかれた。
和也もその言い伝えに興味をそそられ、祭りの終わりにその木の下で願いを込めることにした。
しかし、彼の心の中には下心があった。
それは、特別な存在になりたいという欲望。
彼は自分の名前を世に知らしめたく、成功を夢見ていた。
木の下に立ち、「どうか、私の名が広まりますように」と心の中で叫んだ。
祭りの翌日、和也は村を離れる準備をしていた。
しかし、その晩、彼は不思議な夢を見た。
夢の中で、木の影が長く伸び、彼を呼んでいるように感じた。
その影が彼に近づくと、耳元で囁く声が聞こえた。
「依りてきた己の欲を捨てよ。その影を受け入れ、真の自分を見出すがよい。」
目覚めた和也は、まるで夢の中の声が現実のもののように思えた。
彼は、自分の願いが叶っていく過程で、何かが変わってしまっていることに気付き始めた。
村の人々が恐れるように彼を避けるようになり、話しかけても、彼らは無関心で目を逸らす。
彼の名は村の中で広まるどころか、恐れられる存在として囁かれるようになっていた。
和也は再びその木の元へ向かうことにした。
彼の心に浮かんだのは、依りを求めたことへの後悔だった。
木の前に立つと、一際大きな影が彼を包み込むように広がった。
彼は覚悟を決め、「もう一度願いをかけます。私は私自身を再び見出したい」と声を上げた。
すると、その瞬間、影の中から現れたのは、村人たちがかつて信じ、敬った様々な夢や願いの思い出だった。
和也は、自身が求めていた成功とは、むしろ人との繋がりや信頼を失わせるものであることを理解した。
彼はその影の中で、村人たちの想いと共鳴し、彼自身の心の奥底へと入っていく。
その日以来、和也は二度と村に戻ることはなかった。
村では、彼が願ったこと、そしてこぼれ落ちた影が、ただの影として留まることになった。
それから数年以上が経った頃、村人たちはふと、あの神聖な木が再び願いを受け入れているのではないかという噂を耳にするようになった。
寄り添う思いや繋がりが、再び人々の間に根付いていくのを感じながら。