「影を受け入れし者」

深い夜の帳が降りると、ひっそりとした山道が浮かび上がってくる。
その道沿いには、昔から語り継がれている「師」の話がある。
師と呼ばれるのは、かつてこの道を行き交っていた僧侶たちで、彼らは道を通る人々に救いの手を差し伸べた。
今は人が減り、山道は静まり返っているが、この道にはひとつの怪談があった。

ある晩、佐藤健一は仕事の帰りにその山道を通ることになった。
辺りは真っ暗で、月の光が道を細く照らしているだけ。
彼は急いで帰るため、胸の内に不安を抱えながらも、一歩一歩進んでいった。
静寂の中、ふと風の音が耳に入ってきた。
その音は何故か心をざわめかせ、不安感を増幅させた。

その時、彼の前方にぼんやりとした影が現れた。
影は徐々に近づいてきて、黒い袈裟を着た僧侶の姿が浮かび上がった。
健一は驚き、立ち止まった。
「あなたは?」と問いかけると、師は静かに彼を見つめた。
師の目は深い知恵と悲しみを宿しているように見えた。

「この道は罪を背負った者が往来する場所。あなたは何を求めているのか?」師は静かに尋ねた。
健一は言葉に詰まった。
かつての彼の過去、失敗、罪の意識が彼の中で生き続けていた。
彼は苦しみを抱えながらも、前に進まなければならないと思っていた。
「私は救いを求めています。心の整理がつかないまま、毎日を過ごしているのです。」

師は静かな頷きを返し、「ならば、私が導こう」と言った。
その言葉に健一は少しほっとした。
この道を通ることで、彼の心の中の重荷が軽くなるのではないかという希望を抱くことができた。
師の後を追い、共に歩き始める。

しかし、道を進むにつれて、周囲の雰囲気が変わっていった。
不気味な冷え込みが体を包み込み、暗闇の中に無数の影が潜んでいるように感じられた。
「あなたの心の中には、まだ整理がつかない感情がある」と師は語りかける。
「それを直視しない限り、救いは得られない。」

健一はその言葉に戸惑いつつも、何かを感じ始めた。
彼が過去に背負ったもの、愛する人を傷つけたこと、逃げ続けた自分…。
それらの影が心の奥でうごめいているのだ。
道は更に暗く、気づけば視界が悪くなり、彼の足元に怪しい影が見える。
「な、なんだこれは…」彼は恐怖で声を震わせた。

師は優しい声で告げた。
「あなたの心のどこかに、逃げている物がいる。向き合う決意が必要だ。」その瞬間、健一は目の前に立ちはだかる影が、自分自身の過去の一部であることに気づいた。
それは彼が最も恐れている、見たくなかった自己の一部だった。

影は囁く。
「お前は逃げ続けるつもりなのか?それとも向き合うのか?」健一は恐れに打ちひしがれながらも、自分の過去から逃げることはもうできないと悟った。
彼は心の中で叫んだ。
「私はもう逃げない!」

健一はすべての思いを込めて影に向かい、決意を示した。
すると影は揺らぎ始め、やがて溶け込むかのように姿を消していった。
彼は深呼吸し、心の奥底からの解放感を感じた。
悔いを抱えていたが、少しだけ前へ進めたような気がした。

振り返ると、師は微笑んでいた。
「理解したか?あなたの選択があなたの運命を作る。逃げることなく、向き合うことが救いとなる。」その言葉を聞いた瞬間、目の前の道が開け、明るい光が差し込んできた。
健一は一歩を踏み出し、新たな道を見つめた。

「ありがとうございました。」彼は心から感謝の意を表した。
師は再び静かに頷き、影のように道の奥へと姿を消していった。
健一はその後、もう悔いを感じることなく、明るい気持ちで新たな一歩を踏み出すことができると確信した。
再び山道を通ることがあっても、もう恐れるものは何もなかった。

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