「影の院」

その院は、静かな山の中に佇んでいた。
周囲には深い森が広がり、たまに聞こえる風の音が不気味さを増す。
多くの者が噂を避け、近づくことを躊躇うその場所では、何度も失踪事件が報告されていた。
特に、院に出入りしていた官僚や研究者が消えることが多いという。
その人たちが何を探し、何を失っていったのか、誰も知る者はいなかった。

官である田中は、その院について調査をすることにした。
彼は真面目で冷静な性格の持ち主であり、失踪事件が単なる偶然ではないと考えていた。
事実を追い求める姿勢から、彼は赴任を決意し、院の門をくぐった。

院の内部は、薄暗い廊下と異様に静まり返った空気に包まれていた。
田中は廊下を進みながら、何かに見られているような気配を感じた。
だが、その時はただの気のせいだと自分に言い聞かせ、目的の部屋に辿り着く。

一つの資料室には、研究者たちが残した膨大な記録と共に、失踪した者たちの写真が掲示されていた。
その中には、見覚えのある顔もあった。
田中はどこか惹かれ、手を伸ばして一枚の写真を手に取った。
その瞬間、寒気が背筋を走り、心臓が大きく鼓動し始めた。
写真の人物は、田中の古い友人であった。

「彼もここに来ていたのか…。そして、失ってしまったのか…」

戸惑いと恐怖が交錯する中、田中はその記録を読んでいくうちに、いくつかの共通点に気づいた。
失踪した者たちの多くは、共通して「自分探し」をしていたこと。
特に、何か大切なものを見失い、その手がかりを求めてこの院へと足を運んだようだった。

彼は自室に戻り、夜を迎えた。
月明かりが窓から差し込み、薄暗い室内をほのかに照らしている。
その瞬間、異様な音が廊下から聞こえてきた。
低いもので、まるで誰かがささやいているかのようだ。
田中は恐る恐る立ち上がり、音の正体を確かめるため廊下に出た。

音がする方向に進むにつれ、彼の心臓はさらに速く鼓動し始めた。
廊下の曲がり角を曲がると、突如、目の前に無数の影が現れた。
それらは、かつてここで失われた命の象徴のようだった。
影たちは彼を見つめ、同時にかすかな声で囁いた。

「失われたものを返せ…」

田中は恐怖から動けなくなりながらも、思考を巡らせる。
彼はここに何を求めてきたのか? 彼自身もまた、何か大切なものを失っていた。
自分探しを続ける中で、真実を見失っていたのかもしれない。

影たちはさらに近づき、彼の心の奥底に隠された思いを曝け出す。
「自分を見失うな」と、かすかな声が響く。
その瞬間、田中は理解した。
失うことの恐怖に駆られ、自分を見失っていたのだと。
失ったものを取り戻すのは不可能だと認識しながらも、未来への希望を捨ててはいけない。

田中は心を奮い立たせ、影たちに向かって叫んだ。
「私は自分を失わない! 何があっても、私を信じる!」

声が響いた瞬間、影たちは彼を呑み込みそうになったが、田中の意思の強さが彼らを押し返した。
暗闇が薄れ、影たちは徐々に消えていった。
彼は長い廊下の先にある出口へ向かった。
出口をくぐった時、彼は過去の失敗や恐れを乗り越え、自分を再発見したのだ。

その後、田中は院を去り、生き延びることができた。
しかし、彼は決して忘れないだろう。
真実を追い求めることと、自分を見失わないことがどれほど大切か。
失ったものを埋め合わせ、明日への一歩を踏み出す勇気を抱えながら、彼は新たな人生を歩き始めたのだった。

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