「影の裏舞台」

ある晩、一人の若い女、佐藤恵梨は、友人たちと共に劇団の練習を終えた後、楽屋に残り、ひとり静かに読書をしていた。
彼女は演技に情熱を注ぐ姿勢と、透き通るような美しさで、多くの人々から注目を浴びていた。
しかし、恵梨の心の中には、誰にも言えない深い孤独が渦巻いていた。

その時、舞台の中央に置かれた座に目を向けた恵梨は、微かに響く声を感じた。
「恵梨、私だよ…」。
その声は、子供の頃の彼女の親友、真奈の声だった。
真奈は彼女が高校生の時、事故で亡くなった、特別な存在だった。
恵梨はその瞬間、背筋が凍った。
しかし、同時に何か不思議な引力を感じ、舞台へと足を進めた。

座に座ると、恵梨は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「どうしてこんなところにいるの?私のそばにいてほしい」と彼女は心の中で呟いた。
すると、周囲の空気が変わり、まるで真奈が彼女のすぐそばにいるかのような気配が漂った。
恵梨の内なる感情が呼び覚まされ、彼女は涙がこぼれそうになった。

「私、ずっと待ってたよ」と恵梨がつぶやくと、座の端から真奈の影が浮かび上がった。
実体を持たないその影は、微かな光を放ち、明るく輝いていた。
真奈の姿は朧げだったが、彼女の優しい笑顔ははっきりと見えた。
「もう、君を一人きりにはさせない。私たちは仲間だよ」と、真奈は恵梨を抱きしめるように近づいてきた。

その瞬間、恵梨は心が落ち着き、この世の中に一人ではないということを強く実感した。
彼女は本来の自分を取り戻し、舞台の上で演じることにより強い喜びを感じるようになった。
しかし、夜が深まるにつれ、恵梨は徐々に奇妙な現象に気づくようになった。
衣装や道具は、長い間使われていないかのように朽ち果て、彼女の周りには奇妙な音が聞こえ始めた。

恵梨は真奈と共に練習し、舞台での演技を重ねるごとに、何かの力が彼女を支配していくのを感じた。
毎晩舞台に向かうたびに、目の前に立つ座は、まるで地獄の入り口かのように感じることもあった。
恵梨はその恐怖を無視して演じ続けたが、次第に周囲の人々も変わっていった。
彼女の姿に異常なまでの執着を抱くようになり、演技に対する評価も上がっていた。
しかし、それに比例するかのように、恵梨自身の心の落ち着きは失われていった。

ある晩、恵梨は練習が終わった後、真奈の影がいつもより強く感じられることに気づいた。
舞台に立っていると、一瞬にして彼女の周囲が暗く包まれ、まるで冷たい風が吹き抜けた。
恵梨は恐怖のあまり立ちすくんだ。
真奈の影はどんどん大きくなり、恵梨をその影の中に引き込もうとしていた。
恵梨は必死に抵抗したが、その力は想像以上に強かった。

「もどってこい、恵梨。私のそばにいて」と真奈は囁いた。
しかし、その声は次第に冷たさとともに変わり、恵梨の心に落ちていく暗闇を感じさせた。
彼女はその後、何が起こったのか思い出せなかった。
ただ、目が覚めたとき、楽屋の床に倒れていた。
周囲にはもう誰もおらず、静寂が支配していた。

恵梨は舞台から退き、今も真奈の影を心に抱えながら日々を過ごすことになった。
彼女の演技は引き続き高く評価されたが、心の中には常に真奈との不気味な結びつきが残っているのを感じていた。
やがて、彼女はこの境界を越えることができなかったことを悟り、愛と恐怖の狭間で彷徨い続けることに決めた。
真奈との愛は、彼女を舞台の光の中へと引き込んでいくが、同時に彼女を深い闇に落とし込むものでもあった。

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