「影の執着」

陽一は都会の喧騒を逃れ、静寂に包まれた野原へと出かけた。
彼は仕事のストレスを解消するため、自然の中でのひと時を求めていた。
周りには広がる緑、彼の耳には風の音だけが響いている。
そんな場所で一人の時間を楽しむことは、彼にとって最高の癒しだった。

しかし、野原には陽一の知らない秘密が潜んでいた。
何度も訪れているにもかかわらず、彼はその影を意識したことはなかった。
しかし、その日は違った。
彼はふと、草むらの中から小さな影を見つけた。
それは、動く気配がない一匹の猫だった。
黒い毛並みのその猫は、まるで何かを求めるようにじっと陽一を見つめていた。

「お前、どうしたんだ?」

陽一は懐かしさを感じながら、その猫に近づいた。
しかし、猫は陽一に近づくこともなく、淡々とした眼差しを向け続けている。
陽一は心の底に不安が広がるのを感じた。
猫の目には、どこか異様な光が宿っていた。

その日から、彼は何度も野原を訪れるようになったが、必ずその猫と再会した。
猫は常に彼を見つめていたが、ちらりと動いては、瞬間的にどこかに消えてしまうのだ。
陽一はその猫に惹かれつつも、次第に何か悪いものを感じていた。

面白いことに、陽一が訪れるたび、周囲の風景が徐々に変わっていくのに気づいた。
かつては緑に溢れていた野原は、次第に荒れ果て、木々は枯れ、空はどんよりした灰色に染まっていた。

ある晩、陽一は再びその場を訪れた。
今夜は月明かりも薄く、暗闇が彼の心を蝕む。
猫のことを考えていると、突然冷たい風が吹き荒れ、彼の体温を奪っていく。
どういうわけか、心の奥に響くような声が耳元で囁いた。

「執着は悪を生む」

その瞬間、彼は目の前に映る光景に愕然とした。
そこには、自分の知らない二つの姿が浮かんでいた。
一つは自分自身。
もう一つは、まるで自分の影のような存在だった。
影は陽一の動きに正確に同期し、彼の感情を映し出しているかのように見えた。

「執着が私を生む。あなたが私を望むから、私は存在する。」

陽一は恐怖に駆られ、後に退く。
しかし、その影は彼をしがみつくかのように追いかけてきた。
野原から目を逸らし逃げ出す彼の背後で、猫の鳴き声が凄まじく響いた。

「悪はお前の心から生まれる。それを忘れないで。」

いつしか陽一は、ぼんやりと視界が歪むのを感じた。
彼は気がつくと、自分が猫の目に映る存在になっていたのだ。
彼の目の前には、自身の姿を持った無惨な影が彼を見下ろしている。

体が冷たくなり、思考が完全に停止する。
彼はもう一人の自分に執着し、恐れ、悪に沈み込み、最終的にはその影と融合してしまった。

翌日、その野原を訪れた人々は、ただの荒れた草むらに猫の姿を見つけるだけだった。
陽一の記憶は消え、彼の存在は再びこの世に具現化することはなかった。
悪の影を背負ったその猫は、別の誰かが訪れるのを待てるように、静かにそこに佇んでいた。

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