「影の印」

深い山々に囲まれた小さな村、そこには「た」という不気味な伝説が伝わっていた。
村の人々は決してその場所へ近づかない。
なぜなら、そこには妖が住んでいると信じられていたからである。
幾つかの話によれば、その妖は人の血を求め、特に「覚」を持つ者を狙うという。

村の若者、健二は何年も前に親を病で亡くし、寂しい日々を送っていた。
ある日、友人から「た」の噂を聞かされる。
みんなが恐れているその場所を訪れることで、彼の心に潜む孤独感を和らげる何かが見つかるのではないかと考えた。

健二は一人、「た」へと向かった。
薄暗い森の中を進むと、やがて不気味な雰囲気が漂ってきた。
周囲が静まり返り、心臓の鼓動だけが響く。
少し進むと、目の前に印のような奇妙な模様が地面に描かれていた。
何かの儀式に用いられるような形で、その周囲には血の跡が生々しく残っていた。

彼は怖れを抱えながらも、その模様に魅了されてしまった。
印が何を意味するのか、どうして血が残されているのか。
好奇心が勝り、健二はその場に立ち尽くした。
突然、風が吹き抜け、木々がざわめき始める。
その瞬間、まるで何かが彼に呼びかけているかのような感覚を覚えた。

「覚えよ、私の名を」と、かすかな声が耳元にささやく。
彼は驚きに声をあげようとしたが、喉がひりひりして声が出なかった。
恐れに駆られながらも、その声の主を探そうと振り返るが、誰もいない。
ただ、冷たい空気が肌に触れるだけだった。

不安になりながらも、健二はその場から離れず、印に手を伸ばした。
触れると、冷たい感触が彼の心に一瞬の閃きをもたらした。
印が示すものに気づく。
彼の内には、隠された力が眠っているのだ。
それを使えば、過去を乗り越えられると思った。
しかし、その力は決して無償ではなかった。

「人の血を与えよ。さすれば、あなたの孤独を癒す力を授けよう」と、再び声が響いた。
健二は自分の血が必要だとは思わなかったが、彼の心の奥には、その誘惑が迫っていた。
孤独から解放されたいという欲望が彼を後押しする。

彼は決心した。
自分の血を抗えぬ衝動で印の中央に捧げる。
痛みを伴ったその瞬間に、印が鮮やかに輝き始め、周囲の空気が変わった。
彼の意識が深い闇に引き込まれ、異次元の感覚に包まれる。
そこには、彼がかつて失った愛する人々の姿が浮かび上がってきた。

「私を覚えているか?」と彼らは問いかける。
言葉には力があった。
彼は涙を流しながら「はい」と答える。
しかし、その瞬間、彼は気づいた。
彼らは本物ではなく、妖が作り出した幻影だったことを。

「覚えよ、私の名を」という声が再び彼の耳元で響く。
今度は明確な声として、彼の心の奥に吸い込まれていく。
そして、その声は美しき妖の姿を現した。
長い黒髪に透き通るような白い肌を持つ彼女は、健二をじっと見つめ、「あなたの孤独は、私が満たしてあげる」と囁いた。

その瞬間、健二は全てを失った。
彼はもはや人間ではなかった。
彼の心には、飲み込まれるような欲望が宿り、妖となった彼は村へ戻る術を失った。
村の人々は恐れを抱きながら、再び「た」へ近づくことなく、彼の姿を見失った。
深い山々の中で、血の印は静かに、そして確実にその力を増していくのだった。

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