彼女の名前は桜井美香。
美香は、大学生活の最後の年を迎えていた。
友人たちと共に過ごした日々の思い出を胸に、卒業を控えた彼女は、何か特別な体験がしたいと願った。
そして、ある日、友達から聞いた「舎」についての話に興味を持った。
「舎」と呼ばれるその場所は、都市の片隅にひっそりと存在する古い建物で、元々は学生寮だった。
今では廃墟となり、近づく人は滅多にいない。
美香は、これが一度の思い出作りになると思い、友人たちにその話を持ちかけた。
彼女たちは、少しの勇気と興味を抱いて、舎へと向かうことに決めた。
真夜中、月の光が差し込む中、美香たちは舎の前に立っていた。
周囲は静まり返り、ただ風の音だけが耳に届く。
ドアを押し開けると、古びた廊下が目の前に広がっていた。
ゆっくりと中へと足を踏み入れ、彼女たちはその廃墟を探索し始めた。
しかし、進むにつれて不穏な空気が漂い始める。
部屋は荒れ果て、家具は崩れ落ち、壁にはかつての学生たちの落書きが残っていた。
その中でも特に目を引いたのが、「決して忘れないで」という言葉だった。
彼女はその言葉に引き寄せられるように、部屋の奥へと進んだ。
やがて、部屋の隅に置かれた古い鏡が目に入った。
いつの時代のものか分からないそれは、曇った表面にも関わらず、美香を映し出していた。
しかし、彼女の背後には何か違和感を感じるものがあった。
その瞬間、彼女はぞっとした。
美香は、鏡の中で自分の後ろに立つ何かを見ることで、心が裂けるような感覚に襲われた。
それは、彼女の背後に立つ薄暗い影だった。
美香は振り向いたが、そこには何もなかった。
ただの空間だけが広がっている。
友人たちも美香の様子に気付き、集まった。
彼女たちの間には緊張が走る。
その瞬間、「お願い、助けて…」というかすかな声が聞こえてきた。
美香はその声の出所を探るべく、再び鏡に目をやった。
鏡の中に映る影は、徐々に鮮明になり、まるで何かを訴えかけようとしているかのようだった。
美香の心に宿った疑念が次第にしこりとなり、彼女は思わず声を上げた。
「あなたは誰ですか?」すると、影は言った。
「私は、ここに残された者。あなたたちが忘れない限り、私はここから出られない。」
その言葉は美香の心に重く響いた。
彼女たちは、この舎に何か大切なものを忘れてしまたことを悟った。
かつての学生たちが感じていた希望や夢、そして彼らの絆が、いつの間にか失われてしまったのだ。
美香は改めて、自分たちがどれほど多くの思い出を抱えているのかを思い知った。
彼女は、鏡を見ることで、過去の学生たちの魂の償いを感じた。
彼らは希望を抱きながらも、何かを棄てざるを得なかった。
その重みは彼女たちの心に沈む。
美香はそのことを、仲間たちにも伝えた。
「私たちも思い出を大切にしよう。そうすることで、彼らの思いを受け継ぐことができるかもしれない。」
日の出が近づき、彼女たちは舎を後にした。
影は彼女たちを見送りながらも、何も言わなかった。
美香は心の中で彼らに感謝し、決して忘れないと心に誓った。
そして、彼女たちの記憶の中には、新たな思い出が加わることとなった。
あれから時が経ち、美香は大学を卒業し、社会人としての生活を始めた。
しかし、何度もあの日のことを思い出す。
彼女と友人たちが舎で感じた恐れと希望。
彼女はそれを忘れないために、いつも友人たちに連絡を取り続け、その思い出を語り継いだのだった。