「影の中に消えた真美」

深い夜、静まり返った町の片隅に、ひっそりと佇む古びたアパートがあった。
住人はほとんどが引っ越してしまい、今では数世帯しか残っていない。
そのアパートの3階には、小林真美という若い女性が一人で住んでいた。
真美は、周囲の人々との関わりを極力避け、孤独を好んでいるようだった。

真美の部屋は、静寂に包まれた落ち着いた空間で、落ち着くために必要な物だけが整然と並んでいた。
彼女は、その環境に満足していた。
しかし、その静寂はどこか不気味なものに感じられた。
彼女は現実逃避に傾くあまり、周囲の人々が去っていく理由を考えようとしなかった。

ある晩、真美はベランダに出て、冷たい風を感じていた。
不意に、視界の端に赤い光が揺らめくのを見つけた。
その光は、向かいの空きアパートの窓から漏れ出ていた。
好奇心が勝り、真美はそちらをじっと見つめた。
光はゆらりと動き、やがて彼女の名前を呼んだ。
「真美…」と、低い静かな声が響いた。

驚きつつも、その声に惹かれた彼女は、無意識のうちに足を運び、空きアパートに向かうことにした。
ドアは意外と簡単に開き、中は暗く、長い廊下が延びていた。
薄暗い灯りの中、心臓が高鳴るのを押し殺しながら、真美は廊下を進んだ。

後ろから聞こえる足音も、彼女が一人だと信じたはずの心を揺さぶった。
どこか、彼女の背後に存在を否定できない気配があった。
それは、彼女を引き寄せる何かだった。
突如廊下の奥から、先ほどの赤い光が再び見えた。
胸の高鳴りが増し、真美は一歩一歩進んでいく。

やがて光の元にたどり着くと、無数の鏡が壁に掛けられ、自己を複雑に映し出した。
真美はその中に不思議な映像を見つけた。
それは彼女自身の姿で、余りにも虚無感に満ちていた。
まるで何か大切なものを失ったかのような空虚な笑顔だった。

不気味さを感じた彼女が身震いし、後ろを振り返ると、そこには見知らぬ女性が立っていた。
彼女は真美と同じ顔をしていたが、目は暗闇を宿していた。
「私を思い出して」と、その女性は微笑みながら囁いた。
「あなたの中に、私がいる。」

真美はその瞬間、急に胸の奥がざわめき、ついにその女性が自分自身の影であると気付いた。
彼女は、孤独や悲しみの中で自分を見失い、何かを索(もとめ)るように過ごしていた。
自らの存在すら、忘れかけていたのだ。
果たして、真美はその影を消そうと必死に手を振ったが、かえってその影は強くなるばかりだった。

その時、赤い光が一瞬強くなり、鏡たちが大きな音を立てて崩れ始めた。
真美は恐怖に駆られ、必死にアパートへと逃げ帰った。
しかし、部屋の中にはすでに彼女自身の影が染み込んでいた。
どこを見ても彼女を見つめる無数の真美が存在していた。

翌日、住人たちが真美の部屋を訪ねると、そこには誰もいなかった。
部屋の中は整然としたままで、ただ少しだけ日差しが差し込む窓が開いていた。
しかし、真美の姿はすでにどこにも見当たらず、彼女の心に抱えていた孤独さが再び現実となってしまったのかもしれなかった。

それから数日後、町ではまた一人の住人が消えたという噂が立ち始めた。
落ちていくものは、いつしか誰にも気づかれずに、深い闇に溶け込んでいくのだ。
真美の姿はもう、どこにも見当たらない。
彼女の影さえも、深い闇に飲み込まれてしまったのだろう。

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