天は、秋の早朝に静まり返った田舎の神社を訪れた。
そこは彼女の父が代々管理してきた場所であり、祖父、そして更にはその前の代から受け継がれる神社だった。
神社の背後には、古びた大きな榕樹が厳かにそびえ立ち、枝葉が織りなす影が朝日を遮り、不気味な空気を醸し出していた。
彼女は最近、父が体調を崩していることを気にしていた。
神社を守るためには父の存在が不可欠だったが、少しずつ弱っていく姿を見ていると不安が募った。
父は常に神社の神様と向き合い、献身的にお祈りを捧げていたが、その姿は日に日に影を深めていた。
ある日、天が神社に行くと、参道の両側にある石灯籠の一つが倒れていた。
古びた石がどれほどの歳月を重ねたのか、周囲には草が生い茂り、誰もそこを通ることはなかったはずだった。
彼女は心をざわつかせながら、父のいる本殿へ向かった。
本殿に着くと、父はうつむき加減に座り、手に持つ経文をゆっくりと読む音が耳に入った。
彼女は父の傍へと寄り添ったが、父の顔はまるで生気を失ったように見えた。
「お父さん、大丈夫?」と声をかけると、彼は顔を上げ、微笑みを浮かべた。
「天、来てくれてありがとう。でも、もう私の役目は終わりに近づいているようだ。」
その言葉に、心がざわめいた。
もしかして、代替わりの時が迫っているのだろうか。
天は思わずつぶやいた。
「そんなことない。私も手伝うから。」すると、父は重い口を開いた。
「君には、私がやってきたことの真実を知ってほしい。それは、生と死の狭間にいることを理解することだ。」
その晩、天は一人で神社を守る覚悟を決めた。
月明かりが神社の境内を照らし、影が長く伸びる。
彼女は榕樹の方へと足を向け、根元に座り込んだ。
その瞬間、彼女は冷たい風を感じた。
体に圧迫感があり、何かが彼女を見つめている気配を感じた。
背筋が凍る思いで振り返ると、黒い影のようなものが榕樹の影からこちらを見ていた。
「私を呼んだか?」その影は、低い声で問いかけた。
天は恐ろしさと同時に、何かを感じ取った。
父の影なのかもしれない。
恐る恐る「父?」と呼びかけると、影は一瞬揺らいだ。
「代を重ねる者よ、私はこの神社の守りだ。君の望みをかなえるために存在する。ただし、代わりに何かを受け取る必要がある。」
天は、父を救うために何かを捧げなければならないのだと思った。
彼女の心には、どんな恐ろしい代償を払ってでも父を助けたいという気持ちが生まれた。
「何を捧げればいいの?」天は聞いた。
すると影は少し考えた後、「生を捧げるのだ。君の生きている力を、父に渡すことで、彼は再び元気を取り戻すだろう。ただし、それは君自身の今までの生を失う代償だ。」その瞬間、彼女は深い恐怖を感じた。
代を重ねるという意味、それは生を奪うことでもあるのだ。
「この神社での役目は、生を受け継ぐことだ。そして、守ることの重さを理解することだ。」影は言葉を続けた。
天は葛藤に満ちた心のまま、考え込むしかなかった。
数分の静寂の後、父の笑顔が頭に浮かぶ。
彼を救うため、天は決断をすることを決意した。
「わかった、私の生を捧げる。」声を出した瞬間、冷たい空気が彼女を包み込み、影は彼女の前に現れた。
「選択は貴女のものである。後悔しないように。生を失った時、全てが変わるから。」影の声は断固としていた。
深い呼吸をした後、天は目を閉じ、心に刻んだ。
これが父への愛であり、神社を守る意思なのだと。
暗闇の中に呑まれるように、彼女の存在は薄れていった。
朝日が昇り、神社の周囲には静寂が戻ってきた。
一切が再び元に戻ったように感じられたが、彼女の姿はどこにも見えなかった。
数日後、父は元気を取り戻し、神社を訪れる人々に微笑んでいた。
しかし、影は今も榕樹の下で彼女を見守り続けている。
生を支える代償を理解しながら、父はその存在に感謝の気持ちを抱いていた。
天の選択は、彼女の思いが形を変えて存在することを意味していたのかもしれない。
天の生は今、影の中で新たな「生」として受け継がれ続けていた。