「影に包まれた母の瞳」

彼女の名前は結(ゆ)であった。
彼女は小さな子どもを育てる、普通の主婦だった。
その日、結はいつも通る道で一通の手紙を見つけた。
汚れた封筒には「生まれてくる未来」と書かれていた。
何気なく手紙を開くと、中に不思議な絵が描かれていた。
それは黒い影が奇妙な形をした生物を包み込んでいるもので、彼女は一瞬、寒気を覚えた。

だが、結はそれを放置することにした。
帰宅すると、幼い息子の健(けん)が遊んでいた。
彼は無邪気に笑いながら、結のそばに駆け寄ってきた。
しかし、その日はどこか様子が違っていた。
健の目の奥には、普段とは異なる何かが宿っていた。

次の日、結は再びあの手紙を思い出していた。
何か不吉なことが起きる前触れのように感じたからだ。
彼女は自分の心配を無視し、健と一緒に遊ぶことにした。
しかし、健はますます無口になり、いつも笑っていたのに、その笑顔が少しずつ薄れてきた。

意を決して、結はあの手紙の絵の意味を調べようと決意した。
彼女は地域の図書館へ向かい、古い書物をひたすら探した。
すると、ある本の中に「生」と「影」に関する伝説を見つけた。
それは、特定の場所で「育まれる影」が生きるために人間の「生命の一部」を必要とするというものだった。

背筋が凍りつく思いをしながら、結はその場所を探すことにした。
そして、夜が深くなる頃、彼女は森の奥へと足を運んだ。
周囲は静寂に包まれ、月の光だけが道を照らしていた。
結はそこで、「わ」と響く声を聞いた。
その声は、まるで自分の名を呼ばれているように感じた。

ついに結はその場所にたどり着くと、目の前に奇妙な木が立っていた。
その木は異様に歪み、まるで人間のように見えた。
結は恐怖心を抑え、近づくと、そこからまた「わ」と響く声が聞こえてきた。
声は「結、あなたの子が…」と言っているように思えた。

彼女は不安になり、すぐに森から逃げようとしたが、身体が動かなくなってしまった。
ふと横を見ると、影のような存在が森の奥から彼女を見つめていた。
その影には、どこか健の姿が重なっているような気がした。

結は自分の心が裂ける思いで、その存在に問いかけた。
「あなたは誰なの?」

影は何も答えず、そのまま彼女に近づいてきた。
胸が苦しくなり、一気に想いが溢れた。
「健を返して、お願い!」

すると影が彼女の前に立ち、瞬間的に彼女の記憶がフラッシュバックのように蘇った。
楽しかった日々、笑顔の健の姿。
だが、同時に彼女は気づいた。
自分がどれほど家庭に忙しく、健を一人にしていたか。
彼は、心の中でずっと母を求めていたのだ。

心のどこかで影と一体化していたのではないかと思った。
結は今までの自分を悔い、心から涙を流した。
「あなたが生きるために、私の一部を返して、私が支えたいの!」

影は一瞬止まり、その後青白い光に変わり、健の姿に戻ってきた。
彼の目は元の明るさが戻り、優しい笑顔を見せた。
「お母さん、帰る?遊ぼうよ。」

結は健を抱きしめ、涙を流した。
あの手紙の意味も、しっかりと理解した。
どんな影が寄り添っても、彼を大切にすることが何よりも重要だと。
森を後にする二人の背後では、静かに影が彼らを見送っていた。
その姿は、もうここにはいない、ただの影として残された。

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