佐藤健太は、ある日大学の講義を終えた後、友人たちと一緒に帰宅する道すがら、ふと足を止め、公園の隣にある廃屋に目を向けた。
その廃屋は長い間放置され、薄暗い影がその周りを覆い、嫌な気配を漂わせていた。
友人たちは興味本位で中に入ってみようと提案したが、健太は何となくその場から離れたい気持ちに駆られた。
しかし、みんなが盛り上がる中、彼は抗うことができず、ついて行くことになった。
廃屋の中はひんやりとした空気に満たされ、どこか不気味な静けさが広がっていた。
かつての住人たちの生活の名残が薄れゆく中、健太は一緒にいた友人の中で特に不安を抱えていた。
彼の心には「何かがいる」という強い予感が渦巻いていたが、彼はその感情を言葉にすることができなかった。
友人たちは部屋の中を探検し始め、健太はその様子を眺めながら一歩下がった。
彼が立ちすくむ中、思いもよらぬ現象が起こった。
突然、周囲の温度が凍りつくように低下し、壁に掛かっていた古びた鏡がヒビを入れ始めた。
その瞬間、彼の心に宿った不安が一気に不気味な恐怖へと転じた。
「帰ろう」そう思った直後、友人の一人が悲鳴を上げた。
「見て!窓の外に誰かいる!」
振り返った健太は、その瞬間、廃屋の奥に立っている黒い影を見た。
その姿は人間の形をしていたが、顔はあらゆる表情を持たず、ただ空洞のような黒いまなざしで彼らをじっと見ていた。
恐怖を抱えた健太は、何かを叫ぼうとしたが、声が出なかった。
彼の友人たちも次第に冷や汗をかき始め、パニックが広がり始めた。
その場から逃げ出そうとしたとき、ドアがドンと音を立てて閉まり、健太たちは外に出ることができなくなった。
無慈悲な孤立感に包まれる中、影はゆっくりと近づいてきた。
友人たちは口々に叫び声を上げたが、その声が虚しく響く中、健太は抗うことなく自ら動くことができずにいた。
しかし、心の奥で何かが目覚めようとしていた。
「この場から逃げてはいけない」と、奇妙な思考が彼を支配していた。
影が彼に手を伸ばしてくると、健太は逆にその影に向かって進み出た。
友人たちの呼びかけは彼の耳には届かず、完全に影の存在に飲み込まれたようだった。
やがて影の正体が明らかになった。
それは、過去にこの廃屋に住んでいた女性の姿だった。
彼女は生前、誰にも理解されなかった孤独や抗う気持ちを抱えていた。
この世に残された彼女の想いは、今尚この場所に執着していたのだ。
彼女は求めるように健太に近づき、彼の心を試す。
「帰ることはできない…。あなたの心の一部を私に捧げなさい。」
健太はその言葉に耳を傾けるうち、彼の心に苦しみが渦巻いた。
このままでは友人たちが危険にさらされることに気づいた彼は、心の片隅で彼女に対抗する決意を固めた。
「私は帰る。ここには何も残せない」と、強く唱えた。
その瞬間、影の女性は怯え、姿が揺らいだ。
彼女は強い抵抗をもっていたが、健太の決意が彼女に届いたのか、ついにその力が弱まり始めた。
健太は手を伸ばし、友人たちとともに廃屋の外に脱出した。
外に出た瞬間、廃屋は一瞬で崩れ去り、健太たちは振り返ることなく、その場を離れることができた。
しかし、健太の心には永遠に終わらない影響が残った。
帰ってきたという安心感の奥には、彼女の存在がいつまでもいつかの自分に重くのしかかっていた。
彼はその日を境に、何か大切なものが失われたことを理解していた。