阿部優斗は、郊外の静かな町に住んでいた。
大学生活も終わりが近づく中、彼はさまざまな人間関係や未来について思案しながら、ふと過去の出来事を思い出すことがあった。
特に、彼にとって忘れがたい記憶があった。
それは高校時代の友人である直子のことだった。
直子は優斗の幼なじみであり、彼の心の中で特別な存在だった。
しかし、ある日、直子は町のある古い神社で失踪してしまった。
彼女はその神社の裏の山に遊びに行くと話していたが、それは彼女が最後に発した言葉となった。
警察は捜索を行ったが、直子の姿は見つからず、町の人々の間には不安と恐れが広がった。
彼女の行方が分からないまま、時間だけが流れていった。
それから数年後、優斗は友人たちの期待を背負いながら、県外の大学進学を果たした。
しかし、彼はいつも心の奥に直子のことを抱えていた。
日々の忙しさの中でも、そのことが頭に浮かぶことは多かった。
特に、夜になると彼女のことを思い出し、時折、胸が締め付けられるような思いに襲われた。
大学の春休みが訪れると、優斗は何か出来ることを思い立った。
彼は町に戻り、直子の行方を改めて追い求めることに決めた。
古い神社は相変わらず澄み切った青空の下、静かに佇んでいた。
優斗は神社に足を運び、思い出の場所に立つと、何かしらの特別な感情が湧き上がった。
「直子、君はどこにいるんだろう?」優斗は静かに呟いた。
その時、不意に耳元でかすかな声が聞こえた。
「帰ってきて」と。
その声は直子のように感じられ、まるで彼女がこの場所に存在しているかのようだった。
驚きと不安が彼を襲ったが、心のどこかでその声に従いたい気持ちがあった。
優斗は山の裏側に向かうことを決意した。
新緑の山道を歩きながら、彼は直子のことを思い出していた。
薄暗くなってきた森の中、彼がいくつかの道を選んでいくうちに、友人の笑顔が思い出され、その心地よさが道を照らしているように感じた。
しかし、次第にその道は不気味に変わっていった。
周囲の木々は生え際から黒ずみ、何かが隠れているかのように思えた。
やがて、彼の目に留まったのは、古びた小屋だった。
その小屋は直子がよく話していた「秘密の場所」に似ていた。
心拍数が上がる中、優斗は思わず近寄り、小屋の扉に手をかけた。
扉は驚くほど簡単に開き、ずっしりとした木の香りが鼻をくすぐった。
小屋の中は、何もないかと思われたが、何か異様な空気が漂っていた。
優斗は足元に目を向けると、薄暗い隅に置かれた古びた鏡が目に入った。
近づくと、自分以外に映っているはずのない鏡の中に、直子の後ろ姿が映りこんでいるように思えた。
驚く優斗が思わず鏡を手で遮ると、その瞬間、声が響いた。
「帰ってきて、私を隠さないで。」
その声は直子のものだった。
しかし、優斗は混乱し、つじつまの合わない状況に心が揺らいだ。
直子は失踪していたはずなのに、どうして彼女がここにいるのか。
語りかける直子の姿は、次第にぼやけていく。
そして、優斗は恐れから逃げるように小屋を飛び出した。
その瞬間、急に周りの景色が変わり、彼は元の神社の前に立っていた。
直子の声がまだ耳元に響いているようだった。
優斗は思わず振り返り、何かを確認しようとしたが、周りにはただ静かな神社の風景しかなかった。
どこかで彼女の存在を感じ、優斗は何かがまだ解決していないことを理解した。
帰り道の途中、彼は不安を抱えつつも決意を固めた。
この町には直子がいるという確信を持って、いつかその声の真実を探し続けることを。
彼女との絆は、ただ影に隠れているだけなのかもしれない。
優斗は彼女の帰りを待ちながら、今後もこの町に居続けることを決めた。