「帰らざる子供たち」

薄暗い部屋の灯りが、かすかに揺れ動いていた。
その部屋には、山田家の一人暮らしの祖母、田中恵子がいた。
彼女は最近、体調を崩していたが、元気だった頃に比べてずっと静かに過ごしていた。
灯りがともると、若干の安心感が生まれるものの、昼の明るい光とは異なり、どこか不安な静寂がその空間を覆っていた。

何日か前から、恵子は不思議な現象に悩まされていた。
夜になると、いつの間にか扉が開いていたり、物が動いたりするのだ。
それらの出来事を気のせいだと思い続けてきたが、部屋の中に漂う重い空気は、恵子の心の奥に不安を抱かせていた。

ある晩、いつものように灯りをともし、横になっていると、ふと耳に聞こえる声に目が覚めた。
「母さん」「おばあちゃん」と呼ぶ小さな子供の声が、周囲に響いていた。
恵子はハッと起き上がり、その声の主を探したが、そこには誰もいなかった。
しかし、声は次第に大きくなり、まるで自分を呼んでいるように感じた。

「誰かいるの…?」心の中でつぶやくも、返事はない。
灯りは今にも消えそうなほど弱まり、影が部屋の隅から不気味に伸びていた。
思わず目を瞑ると、心の中に続く声が脈打つように響いてきた。
「帰ってきて…帰ってきて…」

恵子はその声に不安を感じながらも、何故かその耳障りな声に引き寄せられるような感覚を覚えた。
再び目を開けると、灯りの下に影のような存在が立っていた。
それは、昔の自分の子供たちの顔だった。
二人は薄暗い部屋の中で微笑み、彼女に手を伸ばして呼んでいた。

「ママ、来て…一緒に遊びたいの」と言う声が響く。
恵子はその瞬間、何が起きているのか理解できなかった。
自分の目の前には、確かに幼い頃の息子である健と娘の美紀がいる。
彼女は思わず涙が流れた。
「あなたたちは…私の子供なの?」と尋ねると、二人は頷いた。

「私たち、ずっとここで待っていたよ…」その言葉に、恵子は心が震えた。
長い間、その存在を忘れてしまったようだった。
自分がすっかり過去に目を向けず、目の前の瞬間に生きていなかったことが湧き上がってきた。

「帰ってきて、一緒に遊ぼう」と二人はまた呼ぶ。
恵子の心に押し寄せる感情は、温かさと共に痛みを伴った。
今までどれほど子供たちを思い出し、愛していたかを感じ取ることができた。

恵子は二人に手を伸ばし、思わず彼らを抱きしめようとしたが、手は空気を掴むだけだった。
彼らの影は、その瞬間に消えていった。
周囲は再び静けさを取り戻し、灯りも消えそうだった。

その夜、恵子は目を閉じると、子供たちの笑い声が耳に残った。
何度も呼ばれる声は、もう一度、彼女が愛する存在であることを思い起こさせてくれた。
彼女は彼らの思い出に帰りたくなったものの、現実の中で生きることの大切さを再認識した。

次の日、恵子は灯をともしたまま、家の片付けを始めた。
過去の思い出を抱えつつ、新たな一歩を踏み出そうとしていた。
薄暗い部屋が次第に明るくなり始め、彼女はその光景の中で、子供たちのことを忘れずに胸に刻みながら、少しずつ平和を取り戻すことができるはずだと信じていた。

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