ある寒い冬の夜、晃(あきら)は古い実家に帰省していた。
彼の家は代々受け継がれてきたもので、朴訥とした佇まいと温かみのある木の香りに包まれていた。
しかし、その温もりとは裏腹に、晃はこの家には何か不穏な空気が漂っていることに気づいていた。
晃が生まれ育った家は、母が大切にしていたが、過去の出来事を思い出させるため、彼はできるだけこの家を避けるようにしていた。
それでも、年末の帰省は一年に一度の恒例行事。
家族との絆を感じるために、渋々実家に帰ったのだ。
晃が到着すると、母は暖かな笑顔で迎えてくれた。
しかし、彼女の目にはどこか疲れた影が映っていた。
気にせず「ただいま」と言う晃に、母は微笑んで食事を用意した。
食卓を囲む温かなひとときは、久しぶりに感じる安らぎだった。
しかし、晃が夜になると、家の中に妙な気配を感じ始めた。
それは何かが彼を見つめているような、耳の奥に響く微かな音、さらにはかすかな囁きのようだった。
彼は「気のせいだ」と自分に言い聞かせ、寝室へ向かった。
寝る前、晃はいつも通りにリビングに戻り、母と少しの間話をした。
母はかつてこの家で起こった奇妙な現象を語り始めた。
何年か前、彼女の兄が行方不明になり、家族の絆が裂かれた。
兄は「家を守る存在」としての役割を持っていたが、その役目を果たさないまま消えてしまったという。
そして時折、兄の姿が夢に現れることがあると、母は続けた。
その話を聞いて、晃は冷や汗が背中を流れ落ちるのを感じた。
帰省するたびに思い出され、心の奥にしまい込んでいたものが、今、再び彼の脳裏に蘇ってきた。
晃は部屋に戻り、自らの不安と向き合おうとした。
彼が眠りにつくころ、家全体が静まり返り、外の風の音だけが響いていた。
突然、目を覚ました晃は、どこかからか微かに聞こえてくる声に引き寄せられた。
耳を澄ませると、それは「帰ってこい」という兄の声に似ていた。
思わず立ち上がると、再び声が囁いた。
「こちらへおいで。」
晃はその声に導かれるように、家の中を離れ、廊下を進んだ。
そして、振り返ることなく、兄が消えたという部屋の前に立ち止まった。
その部屋のドアはわずかに開いており、薄暗い部屋の中に一筋の淡い光が漏れていた。
心臓が高鳴り、彼は恐怖と期待の入り混じった感情を抱えて入室した。
部屋の中は無造作に散らかっていたが、晃はその中央に立つ古い鏡に目を惹かれた。
鏡の中には、彼の姿とともにかすかに兄の幻影が映し出されていた。
兄は微笑み、晃に何かを訴えかけているようだった。
その心に響くような視線に、彼は立ち尽くすしかなかった。
「お兄ちゃん、どうして…?」晃は声を震わせて尋ねた。
しかし、鏡の中の兄は静かに見つめ返すだけで、言葉を発することはなかった。
晃はその瞬間、自分が長い間抱えていた兄との絆が、まだ失われていなかったことを理解した。
その時、彼の心の奥にあった不安が薄れていくのが感じられた。
晃は自分の過去を受け入れようと決心し、兄の印と共に過ごした思い出を再び大切にしようと決めた。
彼は鏡に向かって手を伸ばし、強く兄の存在を求めた。
その瞬間、心に温かな思いが満ちていった。
だが、晃の手が鏡に触れた瞬間、全てが消えた。
彼は倒れ込み、気を失った。
目を覚ますと、彼は元の部屋に戻っていた。
たった今の出来事が本当に起こったのか、夢だったのか分からなかった。
ただ、兄との絆が消えることはないと信じ、家族の思いを胸に刻んだ。
翌朝、晃は母と共に朝食を食べていた。
その時、兄の存在が彼を包んでいる気がした。
「今度は、もっと帰ってくるから」と心の中でつぶやき、晃は再びこの家を大切にすることを誓った。
兄との絆は永遠に結ばれていると信じて。