「己の鏡」

又(また)という名の青年は、静かな山里の村に住んでいた。
彼の住む村は、山々に囲まれた美しい自然が広がっていたが、しかし、その村には言い伝えがあった。
村の外れにある朽ちた神社に、村人の心の闇を映し出す「己の鏡」があるというのだ。
その鏡は見る者の真実の姿を映し出し、決して目を離すことができないという。

又は、ある晩、友人たちと飲み明かした後、好奇心に駆られてその神社を訪れることに決めた。
村の暗闇を照らす月明かりの中、彼は不安そうに足を進めた。
神社の境内に辿り着くと、静寂が辺りを包んでいた。
星空が広がる中、彼はほのかに見える老朽化した社の前に立ち、声を潜めて言った。
「これが己の鏡なんだろうか?」

入る勇気を振り絞り、又は神社の中に足を踏み入れた。
その瞬間、背後でカラクリのように扉が閉まり、彼は驚いた。
中には一枚の大きな鏡があった。
その鏡は、まるで別の世界が映し出されているかのように、不気味な光を放っていた。
又は、自分の姿を映し出すその鏡に、一瞬、目を奪われた。

始めはただの青年が映るはずだったが、鏡に映る又の姿は次第に歪み、不気味な表情に変わっていった。
彼は恐怖を感じながらも、目を離せずにいた。
映し出されたのは、自身の心の闇だった。
彼の心に潜む欲望や嫉妬が、映像として捉えられていく。

また、己が持つ影の部分が、まるで口を開けて彼を引き込もうとしているように思えた。
少しずつ己の陰に飲み込まれそうな感覚が彼を襲った。
「これは夢だ、夢に違いない」と又は必死に自分を納得させた。
しかし、現実は次第に圧し掛かり、彼の中に沸き上がる恐怖は益々強まっていく。

そんな時、鏡に映る「己」が、突如として話し始めた。
「お前は、自己を知りたいのか?それとも、隠し続けたいのか!」その言葉は、まるで又の心の奥深くに直接響いてきた。
目をそらそうとしても、映し出されるのはやがて彼の無意識に潜む恐れや後悔だった。
言葉が続く。
「この鏡から逃げることはできない。お前自身が選んだ道なのだから!」

又は逃げたい気持ちを押し殺し、必死に鏡から目を離そうとした。
しかし、心の闇は彼を強く引き寄せ、絶望を与え続けた。
彼は思わず叫んだ。
「終わりだ!この苦しみから解放してくれ!」その一瞬、鏡は揺らぎ、やがて又の身の回りに陰が迫ってきた。

彼は気が狂いそうになりながらも、己の心と向き合わなければならないことに気づいた。
鏡に映る未熟な自分、自分を取り巻く悪意。
最後に彼は悟った。
「終わりは己の選択次第だ」と。
それを受け入れ、自分自身と和解することができれば、終わりもまた新たな始まりへと変わる。

ぎりぎりのところで彼は鏡を強く見つめ、いっそのこと全てを受け入れようとした。
恐れや後悔を自分の一部として認め、鏡の中の己と向き合った。
彼の心の奥底から湧き上がる声を聞いた。
「私は、私だ。」

すると、光が一瞬彼を包み込み、鏡の中の映像が消え去った。
又は神社の中で、ただひとり静かに立ち尽くすことに。
彼は少しだけ心が軽くなっていた。
己との闘いは終わっていたが、村に戻る道のりに向かうと、視界の隅には遠くに月光に照らされた道が見えた。
その道を帰ることで、また新しい自己と出会うことを彼は確信した。

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