村は、海に囲まれた孤島に存在していた。
その村の住人たちは、海を生業とし、漁や海藻採りで日々を過ごしていた。
しかし、村の伝承には一つだけ恐ろしい話があった。
それは、影のように独りで生きる神秘的な存在、”海の者”についての話だ。
彼は夜になると、村を訪れて人々を突き動かすのだという。
その夜、村の漁師たちは海での漁を終えて帰ろうとしていた。
月明かりの下、波の音が静かに耳に響く中、一人の若者、太一が他の漁師たちから離れ、独り泳いでいる魚の群れに目を奪われていた。
周りの仲間は、早く帰るようにと叫んでいたが、彼はその美しい光景に心を奪われ、泳ぎ続けた。
しかし、太一が気づかなかったのは、彼の背後に現れた影の存在だった。
それは、他の漁師たちが言う海の者だった。
海面から突如として現れ、太一の心の中にしっかりとした影を落とす。
彼は恐れを抱きながらも、目の前の美しさに抗えず、じっと見つめ続けた。
影は静かに彼のそばに近づき、言葉をかけてきた。
「なぜ、お前は孤独でいるのか？」その声は冷たく響き、太一の心に直接触れるようだった。
彼は一瞬動揺し、心の奥底で何かが引き裂かれる感覚を覚える。
「私は……ただ、ここにいたかっただけだ」と、太一は呟いた。
しかし、影は彼の願いを理解することはなかった。
「人は、独りであってはいけない。お前の心の影を背負って、私は来た。共に行こう」と言葉を重ね、彼を引き寄せるように海へと誘った。
太一はその力に抗おうとしたが、身体が動かず、波に飲み込まれていく。
心の奥底で焦燥感が広がる。
村人たちの呼ぶ声が遠くに聞こえるが、それが彼を救おうとしているのか、逆に彼を突き放そうとしているのか、分からなかった。
彼はその場から逃げ出したい一心で、手を伸ばし、そして……波の中から逃れるために必死で泳ぎ始めた。
影が彼を掴み、波に翻弄される。
次第に周囲が暗くなり、冷たさが増していく。
ただ恐怖だけが彼を支配し、村人たちが待つ浜辺が遠ざかっていく。
絶望の淵に立たされたとき、目の前に一筋の光が射し込んできた。
それは村の漁師たちの明かりだった。
彼はその光に向かって全力で泳ぎ始めた。
しかし、影はしつこく追いかけ、彼を再び海の中へ引き戻そうとする。
その瞬間、太一は全てを思い出した。
母が語った昔の伝説、海の者に心を奪われた者は、永久に海に住むことはなかった。
その者は、孤独な影として、村の近くで漂い続ける運命だと。
太一は、一瞬の決断を下した。
「戻る、絶対に戻る！」
彼は果敢にもう一度泳ぎ、村の漁師たちの明かりへ向かって必死に進んでいった。
影は叫び、彼を引き寄せようとするが、太一はそれに屈せず、心からの願いを込めて漁師たちのもとへ叫んだ。
「助けて！」
その叫びは、村人たちの耳に届いた。
漁師たちは驚き、急いで彼のところへ向かう。
最後の力を振り絞って太一は明かりの中に飛び込んだ。
すると、たちまち影はその姿を消し、海の者は再び深い闇の中に消え去っていった。
漁師たちに助けられ、無事に岸に上がった太一は、心の奥に影と共に過ごした記憶を抱えていた。
しかし、彼はもう二度と独りでは海に行くことはなかった。
村に戻った彼の目には、恐怖した影がいつもそのうしろにあるのを感じていた。
