辺境の小さな村には、普段は静けさが支配していた。
しかし、毎年、この季節になると異様な声が村を包み込むことになる。
それはまるで失われた者たちの響きだった。
村人たちはその声に対して恐れを抱き、誰も近づくことを許さなかった。
その年もやってきた。
村の若者たちはかたくなに家に閉じこもり、誰も外に出ることはなかった。
外の空気すら不気味に感じられ、彼らの心に絶望の影を落としていた。
特に、最近村に転入してきた一人の青年、涼介はその状況に困惑していた。
彼は、村の伝説について聞いていたが、まさか本当にそんな声が聞こえてくるとは思わなかった。
夜が更け、月明かりが村を照らす頃、彼は思わず外に出てしまった。
人の気配は全くなく、冷たい風が彼の体を撫でる。
すると、突然、村の奥から微かな声が聞こえてくるのを感じた。
「助けて…」それは誰かの切実な呼びかけのようだった。
息を飲み、彼は声の方へと足を進めた。
村の中心を過ぎ、辺境の道に足を踏み入れる。
周囲は暗く、木々が不気味に揺れる音が響く。
次第に声は強くなり、「れ、助けて…」と繰り返す。
それは誰かの叫びであり、同時に彼の心に深く入り込むものであった。
涼介はその方向に向かった。
不安に苛まれながらも、何かを求めるように前進する。
途中、彼はかつて村に住んでいたという、失踪した少女の話を思い出した。
彼女の名前は「音羽」。
優しい声と美しい笑顔で、村の人々に愛されていた。
しかし、ある日突然姿を消し、以来彼女の名前が語られることはなかった。
声は次第に鮮明になってきた。
「れ、音羽だよ… 私を…思い出して…」その瞬間、彼は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
まるで彼女の存在が、彼自身の運命に絡みついているような感覚だった。
涼介は声の源に辿り着いた。
古びた神社が、月明かりに照らされて佇んでいた。
そこには朽ちかけた鳥居と、薄暗い社殿があった。
声は続ける。
「絶対に、一緒にいるから…」
恐怖心が心を支配する中、彼は鳥居をくぐり、社殿へと足を踏み入れた。
すると、そこに佇む一人の女性の姿が見えた。
長い黒髪が風に揺れ、白い着物をまとった彼女は、音羽だった。
彼の心は高鳴り、さらに引き寄せられるように近づいた。
「あなたが、涼介さん…」彼女の瞳が、彼の心に深く宿る思いを読み取った。
「私を、思い出してくれたのね。」
言葉に詰まりながらも、涼介は何かを伝えようとした。
しかし、彼女の存在が徐々に消えかけているように感じられた。
「どうして…あなたはここに…?」
音羽は微笑みを浮かべながら、理由を話し始めた。
彼女は村を愛し、同時に自分の存在が村人たちに呪いをもたらしてしまったことを悔いていた。
失踪したのは、彼女の過去の罪の代償であった。
「私の声があなたに届いたのは、私がずっとあなたを探していたから…」
彼女の言葉に、涼介は混乱を覚えた。
自分の運命が彼女に繋がっているとは思いもよらなかった。
音羽は、過去の思念の中で絶望し、そして自由になることができなかった。
しかし、彼に出会えたことで、彼女の心の中に僅かな希望が生まれたのだ。
その時、突然、周囲の空気が変わった。
涼介は思わず振り返ると、陰が迫り来るのを感じた。
声は波のように押し寄せて、彼に警告を与えた。
「れ、やめて…来ないで…」
恐怖心に駆られ、涼介は音羽に手を伸ばした。
「一緒に行こう、絶対にここから出よう!」
音羽は微笑みながらも、彼を振り払おうとした。
「でも、私はここに縛られているの…あなたを巻き込むことはできない。」
彼の心は揺れ、絶望が押し寄せた。
「絶対に一緒にいよう、音羽!」
その瞬間、声が彼の耳元で響いた。
「れ、助けて…」
気がつくと、彼は神社の前に立っていた。
音羽の姿は消え、ただ風が冷たく吹き抜けるだけだった。
声も消えて、彼はただの一人に戻った。
彼はその瞬間、音羽の思いを背負う覚悟を決め、彼女の存在を絶対に忘れないと誓ったのだった。
村の静寂が戻ったが、彼の心には失われた者の声がいつまでも響き続けることとなった。