「失われたものの代償」

又吉晴人は、地方の小さな町に住む普通の青年だった。
彼は平凡な日常を送りながらも、周囲の風景や何気ない出来事に独特の感性を持っていた。
しかし、そんな彼の日常は、ある日、途端に崩れ去ることになる。

その日は晴れた穏やかな日だった。
晴人は地元の神社で行われる祭りの準備を手伝っていた。
神社の祭りは毎年盛大に行われるが、今年は別の特別な行事があるという噂が流れていた。
それは「忘れられた神々を呼び覚ます儀式」と言われており、村人たちはその準備に熱心だった。

祭りの当日、晴人は境内を彩る提灯や飾り付けを見ていると、おばあさんが近づいてきた。
「あんた、あの儀式には参加するんだろう?」と尋ねられ、彼は漠然と頷いた。
おばあさんは不気味に笑い、「あれはただのお祭りじゃない。失ったものを呼び戻す力があるから、気をつけるんだよ。」と警告した。
その言葉が晴人の心に不安を残した。

祭りが始まると、村人たちは一緒に踊り、歌い、神社の前で神への感謝を捧げた。
しかし、儀式の時間が迫ってくるにつれ、彼の心はさらに重たく感じ始めた。
祭りは日が暮れるにつれて神秘的な雰囲気に包まれ、晴人はまるで異次元に引き込まれていくような感覚を覚えた。

そして、ついにその儀式が始まった。
村人たちは円を描いて立ち、その中心には大きな火が燃え盛っていた。
神主が神楽を奏で、周囲が静まり返る中、晴人は思わず目を閉じた。
彼の心には、失ってしまったモノたちが次々と思い出されていた。
友人との楽しかった思い出や、亡き祖母の笑顔、そして愛する人との別れ…。

その瞬間、不意に耳元でかすかな声が聞こえた。
「忘れないで、私を覚えていて…」その声はとても優しく、同時に懐かしさを感じさせた。
晴人は目を見開いて周囲を見回したが、誰も彼を呼ぶ者はいなかった。
心臓の鼓動が早まる。
彼は何かに導かれるように、火の中心へと近づいていった。

火が燃え上がる中、彼の心の奥底で昔の約束がよみがえった。
それは亡き祖母との約束だった。
「忘れたら、戻ってこれなくなる。」その言葉が頭をよぎった瞬間、火に引き寄せられ、身動きが取れなくなった。

直後、目の前に現れたのは、穏やかな表情を浮かべた祖母の姿だった。
彼女は微笑みながら、「来てくれたのね、晴人。」と言った。
涙が溢れ出てきた。
晴人は彼女に何を求めているのか分からず混乱した。
「おばあちゃん、私は…戻りたくないわけじゃない。ごめんなさい、忘れないから…。」

祖母はゆっくり首を振り、「覚えてくれたら、私は君の中に生き続ける。でも、代償を支払わなければならない。失ったものを再び迎えるのは、何かを失うことを意味するの。」と言った。
その言葉に、ほんの少しの恐怖を覚えつつも、晴人は何か大切なものが自分の手の中から溢れ出していくのを感じた。

火が彼の周りを包み込み、忽然と周囲の温度が変わった。
余韻のない静寂の中、晴人は祖母の顔を見つめ、彼女の存在を心の中に刻み込むと、周囲が暗転していった。

目を開けた時、彼は境内に立っていた。
人々の歓声が遠ざかり、何事もなかったかのように祭りは続いている。
しかし、彼の心には重い後悔が残っていた。
祖母との再会は叶ったが、彼は何かを失う代償を支払うことになったのだ。
彼の心にあるべき思い出も失われ、何が起こったのか、何を覚えていたのかも曖昧になっていた。

毎年祭りのたびに、彼はあの儀式を思い出す。
忘れたはずの大切なものが消えていく恐怖と、祖母を再会させた喜びが、今はただ心の中で静かにうねり続けている。

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