静かな夜、照明も少ない細道を進むと、どこからともなく冷たい風が吹き抜けた。
その道は、日中は人々の賑わいで賑やかだったが、夜が訪れると一転、まるで外界から隔絶されたような不気味さを醸し出していた。
その道を一人歩いていたのは、名もなき女子大生、明恵だった。
彼女は友人たちと遊んだ帰り、一人で薄暗い帰り道を選んだのだ。
手に持つスマートフォンの光が頼りなげに前を照らす。
しかし、足元には何か得体の知れない影が近づいているように感じられ、心が少しざわついた。
その時、明恵の耳に微かな声が届いた。
「助けて…」その声は、どこからか骨の髄に響く冷たい響きがした。
思わず足を止め、周囲を振り返るが、道には誰もいない。
ただ、無機質な街灯の光が、周囲をかすかに照らしているだけだった。
明恵は恐怖を感じながらも、なぜかその声に引き寄せられるように歩き出す。
声のする方へと進むにつれ、声は次第に大きくなる。
「助けて…」明恵は気づいた。
まるで誰かが自分を呼んでいるかのようだった。
心臓が高鳴り、その声に従うように進む彼女の背後には、薄暗い通りの裏側に潜む何かの存在を感じずにはいられなかった。
声の主を探し求めつつ、明恵は道の奥へと進む。
次第に景色は変わり、古びた家々や切り立った崖が現れ、そこには名も無き霊的なものがるような圧迫感があった。
道は険しくなり、周囲の静寂が深まって行く。
彼女はその静けさに恐怖を感じながらも、声の正体を解明しようとしていた。
「お願い…私を見つけて…」その声は今や、まるで明恵のすぐ後ろにいるかのように響いた。
振り返るが、やはり何も見えない。
冷気が背筋を撫でる。
そんな時、再び風が吹き荒れた。
風の中には、かすかに香る花の匂いが混じっていた。
どこか懐かしさを感じるその匂いは、明恵の心に不安と共に柔らかな感情を呼び覚ました。
進んでいくうちに、暗がりの中に古びた神社の鳥居が見えてきた。
この神社には昔、若い女性が不幸な恋に落ちて自ら命を絶ったという言い伝えがあったのを、明恵は思い出した。
森の裏にはその女性が愛用していた花の香りが漂うという話を聞いていた。
興味本位でその神社に近づくと、鳥居をくぐった瞬間、異様な気配を感じた。
神社の境内には、朽ちた結界がある。
そこに立ち尽くす明恵の目の前に、うっすらと人影が浮かび上がる。
それは、結った髪を揺らしながら立つ女性の姿だった。
彼女は美しい顔立ちをしているが、その眼差しには深淵な悲しみが宿っていた。
「私、助けられないの…」その言葉は、明恵の心に脈々と響きわたった。
気がつくと、明恵はその女性に引き寄せられるように近づいていた。
彼女は手を差し出し、まるでその手を取ってほしいかのように訴えてきた。
「忘れてはいけないの…私のことを…私を思い出してほしい…」その瞬間、驚くべきことが起こった。
彼女の存在が、まるで霧のように薄れていき、明恵の目に見えなくなった。
急に恐ろしい想いに駆られた明恵は、振り返り、暗闇の道に急ぎ戻った。
心臓が激しく高鳴り、背筋が冷たい。
振り返ると神社の気配はもう無く、ただ風が静かに吹き抜ける。
あの女性の声は、今や耳の奥に響いていた。
結局、明恵は無事に家に帰り着いた。
しかし、心から忘れたいはずのあの声と花の香りは、彼女の心の裏側にずっと残り続けることに気づく。
彼女の中に埋もれた意識は、忘却の彼方に消えることはないのだと、明恵は思い知らされるのだった。