浪と呼ばれる青年は、町外れの古いアパートに一人暮らしをしていた。
彼は内気で、人付き合いが苦手だったが、特技の絵を描くことだけは人に見せることが好きだった。
毎日、部屋にこもり、キャンバスに向かう日々。
彼の作品は実を描くものが多く、特に地元の風景や静物画に心を惹かれていた。
ある晩、浪がいつものように描いていると、突然、アパートの壁の向こうから小さな声が聞こえてきた。
まるで、誰かが助けを求めているような不安な響きだった。
彼は一瞬、耳を疑ったが、再びその声が聞こえた。
「お願い、届いて…」。
その声に心を打たれた浪は、そのまま無視することができず、声の源を探ろうと考えた。
翌日の昼間、浪は隣の部屋に住む住人について調べることにした。
ネットで調べ物をしてみたが、特にその部屋に関する情報は見つからなかった。
ただ、不運な出来事が続いているという噂を耳にすることができた。
住んでいる人は長い間誰も見たことがないのだ。
しかし、浪の好奇心は日に日に募っていく。
夜を迎え、浪は再び絵を描こうとしたが、心のどこかであの声が気になって仕方がなかった。
そして、もう一度声が聞こえた。
「お願い、届いて…」。
今度は強く、痛切な響きが胸に突き刺さった。
その時、浪は決意を固めた。
何かをしなければならない。
彼は部屋の家具を動かし、壁に耳を当てた。
「誰かいますか?」と声をかけてみたが、返事はなかった。
ただ、静寂が続くだけだった。
しかし、その直後、壁の一部が微かに振動した。
驚きと興奮の入り混じった感情が浪を襲った。
彼は何かしらの現象が起きているのだと感じる。
次の日、浪は壁を叩いてみることにした。
心臓が高鳴り、手が震える。
彼は思い切って、壁を強く叩いた。
「もし誰かいるなら、応えてください!」すると、壁の向こうから再び声が聞こえた。
「届けて…私の思いを…」。
その声はさらに切羽詰まった響きに変わり、浪は思わず後退った。
彼はもう一度、声を出した。
「どうしたんですか?何を届ければいいの?」しかし、翌朝に部屋の外に出ると、近所の人々が噂していた「声」の主が、数週間前に行方不明になった女性だと知った。
彼女の部屋は長らく放置され、とうとう誰も住まなくなっていたという。
浪はあの声が彼女のものだと確信し、次第に彼女の願いが何なのかを考え続けた。
そして、彼女がこの世に未練を抱えていることを感じた。
彼は、その思いを届けるために、彼女のために絵を描くことにした。
彼女の探している「実」は、何か特別な意味を持つのだろうと直感した。
夜が更けるにつれ、浪はひたすらに絵を描いた。
彼女の望んでいた風景、彼女が愛していた実の色、細部にまでこだわって描いていった。
そして完成した絵を壁に近づけて置いてみた。
「これが、あなたの思いです」と心の中でつぶやいた。
その瞬間、壁が微かに震え、温かな風が部屋に流れ込んできた。
浪は驚きながらも、心の奥で何かが解放されていくのを感じた。
次の日、彼は隣のアパートを訪れた。
すると、そこには新しい看板が立っていた。
どうやら、隣室は新たな住人が入居したらしい。
彼女の声はもう聞こえない。
しかし、彼女の思いは確かに届いたのだと、浪は信じることにした。
そうして、彼は再び絵を描く日々に戻り、未練のない真実の世界を見つめ続けるのだった。