「壊れた桜の碑」

桜の季節が訪れ、町中は薄紅色の花びらで彩られていた。
春の暖かい日差しの中、大学生の健二は友人の美咲と共に、毎年恒例の花見を楽しむために地元の公園へ向かっていた。
公園には見事な桜の木が立ち並び、その下で多くの人々が笑い、飲み、楽しんでいた。

しかし、健二は少し気になっていたことがあった。
去年、桜が満開の時に、彼の友人が行方不明になってしまったのだ。
友人は桜の木の下にある古い石碑の前で、一人静かに佇んでいたという。
そして、それが最後の目撃情報だった。
地元ではその石碑が「壊された桜の碑」と呼ばれ、桜の花が咲くたびに、その碑に近づく者は不幸に見舞われるという噂が立っていた。

「今年もあの碑の近くに行ったらダメだよ」と美咲が言った。
美咲はその噂を信じていた。
健二は軽く笑いながら「大丈夫だよ、単なる噂さ」と言ったが、胸の中には少しの不安が広がっていた。

花見の時間が進むにつれ、桜の美しさと共に、友人のことを思い出さずにはいられなかった。
結局、二人は酒が進むにつれて、その石碑の存在を忘れ、楽しみに満ちた時間を過ごした。
夜が暮れ、桜の木々は月明かりに照らされ、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

その時、突然、健二はかすかな声を耳にした。
「助けて…」。
その声は、どこからともなく響いてきた。
びっくりした健二は、周囲を見回したが、美咲も他の人々もその声には気づいていないようだった。

「おい、美咲、君も聞こえた?」健二は少し息を呑みながら尋ねた。
「え?何が?」美咲は笑って答えたが、その様子にはどこか不安が漂っている。
健二は声の主を探そうと、桜の木の方へ足を進めた。
美咲も興味を惹かれたのか、一緒に歩き始めた。

碑を見つけた時、二人はその陰に一人の少女が立っているのに気づいた。
小さな身体に白いドレスを纏い、桜の花びらが髪に舞い降りていた。
しかし、彼女の顔は陰に隠れていて、表情をうかがい知ることができなかった。

「君は誰?」健二が声をかけると、少女はゆっくりと顔を上げた。
その瞬間、冷たい恐怖が健二の背筋を走った。
少女の目には何も映っていなかったのだ。
空っぽの、その目が彼の心を掴んで離さなかった。

「私を…助けて…」という声が、まるでその目から直接語りかけてくるように響き渡る。
健二の心臓はバクバクと鳴り、彼は何も言えずにその場に立ち尽くした。
少女は自身の手を伸ばし、壊れた碑を指さした。

不安に押しつぶされそうになりながら、健二はその石碑に近づいた。
そこには、壊れた桜の花の彫刻があった。
彼は思わず手を伸ばすと、その瞬間、まるで何かに刺されるような痛みが彼の心を貫いた。
そして、彼の頭の中で昨年の友人の姿が鮮明に映し出された。
友人も、同じようにこの碑に触れたのだろうか。

「逃げよう!」美咲の声が聞こえ、健二は我に返った。
彼は慌てて美咲の方へ振り向くと、そこにはもう彼女の姿はなかった。
驚愕の中で、健二はさらなる恐怖に心を掴まれていく。
逃げようとしても、足が動かない。
一体、何が起こっているのか?

彼は必死に碑から離れようとしたが、視界の隅に少女が映り込む。
彼女の目は今、健二の心の奥底を覗き込み、何かを求めているようだった。
次の瞬間、桜の花びらが渦となり、健二の周囲を取り囲んだ。

「生きて帰れない…」少女の声が再び廃れていき、健二は絶望的な気持ちに見舞われた。
その瞬間、彼は理解した。
この場所には、壊れた記憶が封じ込められているのだ。
その中に、彼と彼の友人、美咲の運命も。

そして、桜が風に舞い散る中、彼の視界が次第に暗くなり、桜の木の下で消えていった。
彼の行こうとした道は、結局、行くことができない場所だったのだ。

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