「壊れた倉の記憶」

倉の中は、いつもとは違う緊張感に包まれていた。
薄暗い空間には古びた木材や金属が積み重なり、所々にホコリが積もっている。
それでも、長年使われてきたこの倉には、一種の穏やかな気配が漂っていた。
しかし、その均衡はすでに崩れかけていたのだ。

官は、その日の午後、倉の清掃を任された。
外は明るく、人々が行き交う中、彼はこの古い倉の中でひとり作業をしていた。
日差しが差し込む小さな窓からは、まるで過去を映し出すかのように、木の影が伸びていた。
軽い埃が舞い上がりながら、彼は手を動かし続けた。

「こんなところで何をしているんだ?」突然、後ろから声がかかった。
振り返ると、見知らぬ男が立っていた。
男の顔はどこか陰気で、長い髪がぼさぼさで宿る影がそこに感じられた。
官は一瞬、驚いて言葉を失った。
「あ、あの…掃除をしているんです。」

男は薄笑いを浮かべ、「ここは何かが壊れてしまった場所だ。お前には、そのことが分からないかもしれないが」と言った。
官はその言葉に不安を感じた。
「何が壊れたのですか?」

男は無言で倉の奥へと歩いて行くと、急に立ち止まって振り返った。
そして、指を指しながら言った。
「あそこを見てみろ。」

官は興味を引かれ、男が指差した方を見た。
そこには、箱が一つ置かれている。
うっすらと白いカビが生え、木材が腐れかけていた。
「あんな古いものに何があるんだろう」と思いながら、彼は近づいた。

箱を開けてみると、古い書類や写真が詰め込まれていた。
そこには、かつてこの倉が人々の信仰の場であったことや、彼らが何かを封じ込めるために集まり、破壊されたことが記されている。
ページをめくるたび、官は不気味な感覚に襲われた。

「私たちはあまりにも多くの事を忘れすぎた。壊されたもののことを…」男は官の背後から静かに呟いた。
官は思わず振り返ったが、男の姿はすでに消えていた。
倉の冷たい空気だけが残る中、彼は急に恐怖を覚えた。

その時、尋常ではない音が聞こえた。
どこかからは、何かが崩れ落ちる音。
それは、まるで壁の奥から響いてくるようだった。
官の心臓は速さを増し、逃げ出したい衝動に駆られた。
「これは、ただの倉じゃない…何かがいる」と感じた。

急いで倉を出ようとしたが、奥からの物音はだんだんと迫ってくるように思えた。
思わず振り返ると、箱から光が漏れ出してきた。
恐る恐るその光に近づくと、そこに現れたのは、壊れた記憶や絶望の影であった。

「あなたたちが壊してしまったもの。それを取り戻してほしい」と、薄暗い影が官に語りかけてきた。
彼は背筋が凍り、恐怖で動けなくなってしまった。
まるで、倉の中の物たちが叫び声をあげているかのように思えた。

「あなたも、同じ運命を辿るのではないか」と、それは確信を持って告げた。
暗闇の中で、官は自身の存在そのものが崩れていくような感覚を覚えた。
記憶が溶け、忘却へ向かっている。
逃げることに意味はないと、どこかで感じ取っていた。

「何が破壊されたのか、それを知るためには、壊れた自分を理解しなければならない」と声が繰り返した。
光が弱くなり、影は更に濃くなっていく。
官は心の中で叫んだが、その声は倉の静けさに飲まれてしまった。

その後、倉の中に戻る者はいなかった。
誰もこの場所がかつての信仰の場であったことを知らず、ただの廃屋として忘れ去られていった。
しかし、箱の中に閉じ込められた記憶は、今もなおその壁の奥でうごめき続けている。
破られたものが、再び音を立てる日を待ちながら。

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