有紀は、数年前に両親から相続した古い一軒家に引っ越すことに決めた。
屋根の色あせたこの家は、実家から離れた静かな山間に建っていた。
田舎の自然に囲まれた場所で、都会の喧騒から逃れるには最適だと考えたからだ。
しかし、この家には不気味な噂があった。
過去に住んでいた住人が、行方不明になったというのだ。
引越しの準備を進め、とりあえず必要最低限の荷物を運び入れた有紀。
しかし、家の中には次第に奇妙な感覚が漂い始めた。
夜になると、壁の向こうから微かにささやき声が聞こえてくるような気がしてならなかった。
それでも、有紀は自分を納得させた。
「ただの気のせいだ」と。
ある晩、有紀は自室で勉強をしていた。
時計の針が深夜を示す頃、突然、壁がゴトゴトと音を立てた。
びっくりして立ち上がった彼女は、壁に耳を近づけてみた。
「何かがいる…?」と思い、恐る恐る手を壁に当てる。
しかし返ってきたのはただの静寂だった。
それでも、その夜は眠れず、次第に不安が心を支配していった。
翌朝、普段の生活に戻ろうと努力し、有紀は家の周りを散策した。
周囲は美しい自然に囲まれていたが、引っ越した家の外観に変わらぬ不気味さがあった。
そして、壁の影には不気味な模様が浮かび上がっていることに気づく。
それはまるで手形のような形をしていて、常に彼女を見つめているかのようだった。
日々が過ぎるにつれて、有紀は壁の音が頻繁に聞こえるようになっていった。
特に夜になると「助けて」という声が耳にすり込まれ、彼女はこの家から逃げ出したくなる衝動に駆られた。
しかし、どこか惹かれる部分があり、苦悩しながらも引き留められる自分がいた。
ある晩、思い切って壁の向こうに何かがいるのかを確認することにした。
有紀は小さなハンマーを手に取り、壁を叩き始める。
木の壁は硬く、響く音が不気味な静寂に包まれた家を揺らした。
数回叩いたら、微かな亀裂が入り、その隙間から湿気のある空気が漏れ出てきた。
そこに見えたのは、小さな部屋だった。
部屋には古びた人形が二体転がっており、その目はまるで彼女を見つめ返しているかのようだった。
その瞬間、有紀は恐怖に襲われた。
人形の目が瞬き、彼女に向かって「私たちを助けて」とささやいた。
彼女は腰が抜けて後ろに倒れ、恐怖で目を閉じた。
自分の身に何が起こっているのか理解できなかった。
ただ、音は高まり、悪夢のような叫び声が壁の奥から響き続けた。
次の日、有紀は再びその小部屋を見に行こうとしたが、なぜか周囲の空気が変わっていることに気づく。
いつも感じていたざわざわした音がなくなり、静まり返っていた。
彼女は不安になりつつ、ハンマーを手に再度壁を叩こうとした。
しかし、その瞬間、後ろから何者かの気配を感じた。
振り返ると、そこには彼女の故郷で一緒に遊んでいた幼馴染の亮が立っていた。
「ここには近づかない方がいい」と彼の言葉が響くと、有紀は思わず振り向き、壁に耳を当ててしまった。
「あなたは今、どうする?」という声が聞こえ、手形の模様は目の前で動き出した。
その瞬間、有紀は全てを理解した。
「助けて」「私たちを解放してほしい」という声は、ここにいる彼女たちの孤独と絶望の叫びだった。
そして、彼女はその声を無視することができなくなる。
家を捨てて逃げるべきか、それとも真実を知るためにこの状況に向き合うべきか、彼女の選択はまだ定まっていなかった。
再び夜が訪れ、壁の向こうの囁きがますます大きくなる。
彼女はその先に何が待っているのか、ますます恐れを感じるのだった。