小さなアパートの一室に、佐藤奈美は独り暮らしをしていた。
狭い部屋は、彼女の生活の全てを詰め込んだスペースでもあった。
壁には思い出の写真やポスターが貼られ、少しでも自分を奮い立たせようとする彼女の苦心がうかがえた。
しかし、そのアパートには奇妙な噂があった。
隣の部屋に住む住人が、毎晩苦しそうに叫ぶ声を聞くというのだ。
不気味なその声は、まるで何かから救いを求めているようで、奈美の心に不安をもたらしていた。
ある晩、彼女はその声に引き寄せられるように、隣の部屋へ足を運ぶことに決めた。
ドアをノックすると、すぐに頭が真っ白になった。
返事はなく、ただ静寂が広がっていた。
奈美は何かが起こる予感を抱きつつ、ドアを開けて中を覗いた。
そこはひどく散らかっており、家具が転がり、畳には何か黒いシミが広がっていた。
まるでその部屋が、何かから逃げるように必死だったかのようだった。
その瞬間、背後でドアが閉まった。
奈美が振り返ると、壁に人影が映し出されていた。
その姿は、まるで誰かが壁の中に閉じ込められているかのようだった。
心臓が高鳴り、恐怖が彼女を襲った。
影の中からは、「助けて…助けて…」という声が聞こえる。
奈美は何が起こっているのか理解できなかったが、その声の主のために行動することを決意した。
彼女は壁に触れ、必死に耳を傾けた。
声の正体を知りたくてたまらなかった。
しかし、次第にその影が彼女に向かって近づいてくると、奈美は背筋が凍る思いをした。
「何があったの？」奈美は壁に向かって問いかけた。
その瞬間、影は彼女の目の前で形を変え、痛みと恐怖で満ちた顔が現れた。
それは、かつて隣に住んでいたという女性の霊であり、彼女は奈美に向かって助けを求めているのだった。
その女性は、数年前にこの部屋で一人孤独に過ごし、病に倒れようやく他界したことを語った。
その後、彼女の魂は未練を抱え、壁に封じ込められてしまったという。
奈美はその話を聞き、胸が痛む思いがした。
彼女は、他人の不幸を知りつつも無関心でいた自分を恥じた。
「どうやって助ければいいの？」奈美は真剣に聞いた。
女性の霊は淡い笑顔を浮かべながら、「私をこの部屋から解放して。この壁を壊して、私をただ外に出してほしい。」と囁いた。
しかし、奈美は困惑した。
彼女にはその手段がわからない。
ただ手を差し伸べることしかできなかった。
奈美は自分が出来ることを考え始めた。
隣の住人がどれだけ怯えているかを知りながら、少しずつ彼女に寄り添うことにした。
毎晩、仕事から帰ると壁の前に座り、女性の話を聞くことに決めた。
そうすることで、少しずつでも彼女の苦しみが和らぐのなら、奈美は惜しまず時間を使った。
日が経つにつれ、壁の影は薄らぎ、女性の声もかすかに前向きになっていった。
やがて、その日が訪れた。
奈美は大きな声で叫んだ。
「私が助ける！一緒に行こう！あなたは一人じゃない！」その瞬間、アパート全体が揺れ、壁が崩れ落ちた。
光が差し込み、女性の霊が奈美の前に姿を現した。
涙を流しながら奈美は手を伸ばした。
「もう大丈夫、私がいるから。」女性は微笑みながら、奈美の手を取った。
心の奥に隠れていた苦しみが少しずつ消えていくのを感じ、彼女は安らいだ。
その後、奈美は一人で夜を再び過ごすこととなったが、もはや恐怖はなかった。
彼女の心には、かつて救った女性の存在が大きく根づいていた。
彼女は人としてどれほど他者を大切にできるかを学び、自らの生活に感謝を痛感するようになった。
壁の向こう側で再び囁くことはなくなったが、奈美の心の中には、彼女の思い出が生き続けていた。
