月明かりが微かに差し込む古びた館、その重厚な扉を開けると、ひんやりとした空気が迎えた。
小田田裕樹は、この館に伝わる怪異を確かめるためにやってきた。
一人で訪れたわけではない。
彼には、同じ大学の友人である桜井明日香と、工藤誠一がいた。
数年前、この館で神隠しに遭う者が続出し、村人たちは恐れて近づかなくなっていた。
裕樹たちは、それが本当に因果に依存するものなのか、自ら確かめようと思ったのだった。
館の廊下には埃が積もり、どこか不気味な静けさが漂っていた。
彼らは懐中電灯を片手に進む。
やがて、彼らは一室に辿り着いた。
そこは豪華な応接室で、古いソファやテーブルが置かれていた。
壁には、家族の肖像画が掲げられており、裕樹はその中の一つに目が留まった。
絵の中の女性の目が、彼にじっと注視しているように感じた。
裕樹はその視線に少し怯えながらも、友人たちに声をかけた。
「おい、こっちに来てみて。」
明日香はその絵に興味を持ち、近づいた。
しかし、誠一はその様子を見て、館の奥深くからかすかな音が聞こえることに気づいた。
「何か聞こえないか?廊下の方から。」
裕樹もその声に気が付いた。
かすかな囁き、まるで誰かが助けを求めている声のようだった。
彼らはすぐに廊下の方へと向かった。
館の奥に近づくにつれて、囁き声は次第に大きく、感情を孕んだものになっていった。
そこは扉が閉ざされた部屋の前だった。
明日香が扉を押し開けると、そこは暗く、奥にはなにか不気味な気配が潜んでいるように感じた。
裕樹は少し躊躇したが、友人たちが入っていくのを見て、彼も後を追った。
部屋の中には巨大な鏡が置かれていた。
それはただの鏡ではなく、何かを映し出しているように感じる奇妙なもので、裕樹は不安を覚えた。
その瞬間、鏡の中で人影が動いたのを見た。
裕樹は一瞬、目を疑った。
「見て、あの影!」裕樹は声を上げた。
明日香が瞬時に鏡へと近づくと、彼女と同じように動く影を見て驚愕した。
その影は、かつてこの館に住んでいた女性の姿をしていた。
彼女の表情は悲しみに満ち、助けを求めているようであった。
裕樹はその女性の存在がこの館に何らかの事情を抱えていることを察知した。
「この館には、彼女の魂が縛られているのかもしれない。」裕樹は恐る恐る言った。
その瞬間、突然、館の空気は緊迫感を帯び、照明がいっせいに消えた。
真っ暗闇の中、誰かの声が響いた。
「助けて…助けてください…」、その声は明日香の耳に深く入り込んできた。
裕樹は明日香の手を掴み、誠一を追って部屋から逃げようとした。
だが、出口は見えず、さらに混乱が増していく。
とうとう、彼らの目の前には、裂けた口を持つ女の顔が現れ、血の涙を流しながら言った。
「私を解放して…私の魂を…」
その瞬間、裕樹は彼女が自らの運命を受け入れられずに苦しんでいたことを理解した。
しかし、どうすれば彼女を解放できるのか。
裕樹は強く心に決めた。
「君を助けるために、私たちはここで何ができるのか教えて!」
その言葉に、女は一瞬虚ろな目を向けた。
しかし、再び彼女の形は崩れ始め、焦燥感に掻き立てられた。
裕樹たちが立ち尽くす中、館が轟音とともに揺れ動き始めた。
逃げることができるのは、ただの恐怖だけではなかった。
彼らは全力で逃げる準備をしながら、女の祈りを込めた言葉を心に留めた。
「私を解放して…」、裕樹はその言葉を胸に刻み、逃げ出すことこそが彼女を救う唯一の道だと信じた。
ドアを打ち破り、明日香と誠一を連れ出し、無事館の外へ逃れた。
振り返ると、一瞬、彼女の哀れな姿が鏡の中に消え、その存在が薄れていくのを感じた。
その後、裕樹たちは館を後にし、二度と戻ることはなかった。
しかし、心の奥底には、あの館に残された魂の叫びが、永遠に響き続けることとなった。
彼女を助けることができなかった後悔とともに。