「囚われた声」

ある晩、田村健二は友人たちと一緒にキャンプに出かけた。
野に囲まれた静かな場所で、一緒に焚火を囲みながら楽しいひとときを過ごしていた。
星空の下での夜は、心地よい静寂の中、まるで何もかもがよい方向へ向かっているように感じられた。
しかし、月が高く昇るにつれ、何かがおかしくなり始めた。

夜も更け、仲間たちが眠りにつく頃、健二は一人、焚火の炎を見つめながら深い思索にふけっていた。
ふと、静かな夜の中に微かに響く音に気付く。
始めは風が草を揺らす音だと思ったのだが、その音は次第に調子を変え、まるで誰かの声のように聞こえた。
呼びかけるような、不気味な響きが耳の奥に浸透してくる。

「健二、あんた聞いてる?」友人の一人が声をかけるが、健二はそれには応じなかった。
音はますます大きくなり、真夜中の静けさを破るように周囲を包み込んだ。
無意識のうちに彼はその音のする方へ足を運んでいた。

その音は次第に鮮明になり、何かが語りかけているようだった。
耳を澄ますと、男のはっきりとした声が聞こえた。
「戻ってこい、戻ってこい」と、何度も繰り返す。
健二はその声に引き寄せられるように、闇が深く潜む野の奥へと進んでいった。

森の暗闇の中に進むうちに、健二はそれまでの興奮から恐れに変わっていた。
神経が高ぶり、心臓が早鐘のように打ち始める。
だが、不思議とその声に導かれるように足を動かしていた。
そして、ついに彼は一つの古びた小屋に辿り着いた。
小屋は木の根に覆われ、まるで自然に飲み込まれてしまったかのようだった。

その小屋の扉は半開きで、健二は恐る恐る中を覗く。
すると、真っ暗な室内の奥に、かつてあったであろう何かの形をした物体が見えた。
長い間誰も訪れなかったため、埃が積もり、物の姿はほとんど消えかかっていた。
しかし、それでもその物体からは、不思議な温もりを感じた。

「た、助けてほしい」と、その声が再び脳内に響いた。
何かを求めているように、深く訴えてくる声だ。
健二はその声の主を見つけることなく、ただその音に応えた。
「私は、誰を助ければいいの?」

すると、その物体が微かに揺れるように見え、部屋の中に妖しい光が差し込んできた。
耳元で「私を解放して」とささやかれ、健二はその声に強く取り憑かれてしまった。
彼は恐る恐るその物体に近づき、その正体を確認しようとした。
すると、それは見知らぬ女性の顔だった。
彼女の表情は無邪気で、美しさがあったのに、どこか悲しみを抱えるような神秘的な印象を受けた。

「あなたは、誰なの?」と尋ねると、彼女は言った。
「私は、ここに囚われている。私を還してほしい。」

健二は背中が凍りつくような恐怖を感じた。
彼女は、その物体に閉じこめられている何かだったのだ。
彼は手を伸ばし、彼女の顔に触れようとした瞬間、強烈な音が響き渡った。
周囲は一瞬で暗闇に包まれ、彼の心の奥で何かが弾ける感覚がした。

全てが元に戻ったかのように、健二は焚火のそばにいた。
仲間たちが彼を心配して見つめている。
彼は混乱しながらも、自分が何を聞き、何を見たのかを思い出そうとしたが、記憶はぼやけていくばかりだった。
その晩の音は、彼の耳の奥で微かに鳴り続けていた。
「逃げられない」という言葉も、何度も頭の中に響いていた。

運命の糸は、まだ切れてはいなかったのだ。

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