ある静かな夜、その町の片隅にある「集」は、周囲から隔離された独特の場所だった。
そこは、古びた木造の家々が立ち並び、多くの住人が一度は過去を背負った結果、今でもその思いを抱え続けているような、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。
その集に住む青年、田村は普通の生活を送っていたが、ふとしたことからその場所に秘められた恐ろしい噂を耳にすることになった。
彼の祖父から聞いた物語は、かつてこの集に住んでいた少女のことを話していた。
少女の名は幽(ゆう)と言い、彼女はある夜に急死し、その後彼女の姿は誰からも見えなくなったという。
しかし、集の住人たちは幽を忘れられない。
彼女の叫び声が今も時折響き渡り、夜の静けさを破るという。
田村はその話を真に受けることなく過ごしていたが、夜の帳が降りると、彼は子供の頃に聞いたあの声を思い出してしまった。
彼はその気にさせられ、集の端にある幽の家を訪れることにした。
静まりかえった道を進む中、月明かりがかすかにその屋敷を照らし出していた。
彼が屋敷に辿り着くと、入り口の扉は風で軋む音を立て、何かが手招きしているように感じた。
田村は恐怖心を抱きながらも、好奇心に駆られ中へと踏み入った。
室内は薄暗く、空気が生ぬるく、どこか湿った冷たさを感じた。
古い家具や日用品が散乱し、まるで数十年前に時が止まったかのような状況だった。
その時、背後から微かな声が聞こえた。
「助けて…」田村は驚いて振り返ったが、何もない。
胸が高鳴り、彼は惹きつけられるように奥へと進んだ。
どこかで幽が待っているのではないかと考えたからだ。
廊下の奥で、彼は薄明かりの中に一人の少女を見つけた。
少女、幽はその場に立っており、かすかな笑みを浮かべていた。
美しい顔立ちと透き通るような肌、彼女は明らかにこの世のものではない存在であった。
田村は恐れつつも、心が何かに引き寄せられる感覚を覚えた。
「私を忘れないで」と幽は言った。
その声にはどこか悲しみが混ざっていた。
「私を助けてほしい…この場所に封じ込められたままだから。」
田村は言葉を失った。
彼は言いたいことがあったが、思い浮かぶ言葉はどれも不適切に思えた。
その瞬間、幽の姿がゆらゆらと揺れ、彼の目の前に現れた。
彼女の目には泣いているように見える涙が浮かんでいた。
「あの時、私はこの家から逃げられなかった。」幽は続けた。
「誰も私を助けようとはしなかった。ただ、呪いのようにこの場所に囚われてしまったの。」
彼女の言葉に、田村は強い痛みを感じた。
孤独、恐怖、そして忘れ去られていくことの恐れ。
彼は彼女の苦しみを理解し、彼女を救いたいと思った。
しかし、その瞬間、屋敷が揺れ始め、暗闇が彼を取り巻く感覚が襲ってきた。
「逃げて!」幽は叫んだ。
しかし、田村は動けなかった。
彼は彼女の手に触れたいと思ったが、幽の姿は次第に薄れていく。
恐れが彼を包み込む中で、彼は躊躇っていた。
逃げるべきか、それとも彼女を助けるために留まるべきか。
ついに田村は決断を下し、思い切って背を向け、廊下を駆け抜けた。
彼の心臓は鼓動する。
振り返ると、幽の姿は消えていた。
しかし、彼の耳には、離れて行く彼女の声が響いていた。
「忘れないで…」
田村は屋敷を飛び出し、外の月明かりの下に出ると、深いため息をついた。
彼の心に幽の思いが残り続けた。
彼は一つの決意を胸に抱え、二度と集を訪れることはなかったが、その夜の出来事は彼の心に永遠に刻まれることになる。