彼女の名前は美咲。
東京都心の雑踏から少し離れた高層ビルの一室で、一人暮らしをしていた。
美咲は仕事に追われる日々を送る中、都会の喧騒から逃げたくて自分だけの空間を手に入れた。
だが、その上の階に引っ越してきたのは、これまでの生活とはまったく異なる事件を巻き起こすことになる。
ある晩、美咲は床に広げた雑誌を読みながら、窓の外に目をやった。
夜の街の明かりが星のように輝いていたが、なぜか胸がざわつく。
この感覚に気付きながらも、気のせいだと思い込もうとした。
次の日、美咲はオフィスで同僚のあかりにこの話をした。
「最近、上の階に住んでいる人が変なの。音がすごくうるさくて、なんだか不気味な感じなのよ。」あかりは興味津々で美咲の話を聞いていた。
「それ、ちょっと気になるね。調べてみたら?」
それから数日、美咲は上の階の住人からの異音に悩まされ続けた。
夜になると確かに聞こえる、低い呟きのような声。
最初はただの生活音だと思ったが、次第にそれが彼女の心を乱すように感じられた。
同時に、彼女の生活も影響を受け始めていた。
仕事の効率が落ち、夜も眠れず精神的に疲弊していく。
ある晩、耐えかねた美咲は、思い切って上の階へと行くことにした。
ドアの前に立ち、勇気を振り絞ってノックした。
だが、返事はなかった。
気味が悪くなり、足早に自室に戻ると、またしても音が響いてきた。
「今度こそ、何かを確認しよう。」彼女は決意を固め、翌日、搬入業者に頼んで調査を開始することにした。
次の日、業者が到着し、上の階の住人について情報を尋ねると、不思議なことに誰も住んでいないという。
確かに住んでいるように聞こえた音は、空耳だったのか、それとも別の何かだったのか。
業者たちは笑いながら、彼女を励まして帰っていった。
しかし、美咲はその日の夜もまた、低い声に悩まされいた。
ついには、夢の中でその声が「美咲、助けて」と叫ぶのを聞いた。
目を覚ました瞬間、心臓が急速に鼓動し、鳥肌が立った。
何かが彼女に訴えかけている。
彼女は再び決意し、今度は部屋に籠るのではなく、現実を確かめるために上の階へ行くことにした。
階段を上る音が、彼女の脳裏に響く。
ドアを叩いたが、誰も出てこなかった。
何か軽いノックの音が聞こえ、心臓が高鳴る。
引き裂かれるような恐怖を抱えながら、彼女はドアを押し開けた。
部屋は薄暗く、何も見えない。
しかし、なぜかそこに立っている気配を感じる。
「助けて…」声が何度も響いた。
すると目の前に、薄い影のようなものが現れた。
それは上の階に住む人の姿かもしれない。
美咲は思わず後退り、震え上がった。
その影は向こうを指差しつつ、「ここから逃げて」と言った。
気が付くと、美咲は自室のベッドで目を覚ました。
いつの間にか夢から醒めたのかと思ったが、あの影の言葉が耳から離れなかった。
彼女は、その晩に起きたことが現実だったのか、夢の中の出来事だったのかで迷った。
しかし、確かに影が伝えようとしたこと、つまりすぐにこの場所から離れろということを、心に深く刻んだ。
数日後、美咲は引っ越しを決意し、荷物をまとめていた。
その時、背後からかすかに声が聞こえた。
「ありがとう、助けてくれて…」振り返ろうとした瞬間、冷たい空気が背中を走った。
周囲は静まり返り、再び美咲はその場所を後にした。
彼女は小さな不安を抱えたまま、新しい場所への第一歩を踏み出した。