田舎の小さな村には、一つの伝説があった。
それは「赤い練」の怪談と呼ばれ、代々村人たちに語り継がれてきた。
赤い練とは、久しぶりに村に帰ってきた金井行(こう)という青年が、祖母から聞いた話だった。
行は東京でサラリーマンとして働いていたが、仕事に疲れ果て、ふとしたことで故郷を訪れることになった。
行が村に着いた日の夜、彼は親しい友人である佐々木とともに酒を酌み交わしていた。
話題は次第に赤い練の伝説へと移っていった。
「赤い練は、村の裏山にある壺から始まった。ある日、村の若者たちが壺を見つけて、なんでも吸い取るという赤い液体を取り出したんだ。それを飲むと、力がみなぎるという噂が広がり、村の若者たちは次々にその液体を試した。しかし、飲んだ者は次第に自分の行いが許されないことに気づき、奇怪な現象に悩まされるようになった」と佐々木が言った。
「いったいどんな現象だったんだ?」行は興味を持った。
「彼らは自分の記憶を失い、次第に自分を取り戻すための練(ねり)という償いを強いられる。村の人々はそのことを恐れ、壺を埋めることにした。それからは、赤い練の存在は忘れ去られたが、最近また噂が立ち始めてる。誰かが再び壺を掘り起こしたのかもしれない」と佐々木が続けた。
行はその夜、自宅に帰った後も赤い練のことが頭から離れなかった。
彼の心の中には、忘れたい過去があったからだ。
昼間の仕事や人間関係に疲れ、故郷に戻ったことは逃避でもあった。
彼は過去の行いを償うために何かできることはないのか、と考えた。
数日後、村の青年たちが集まって赤い練の伝説の検証をすることになった。
行は興味から、一緒に参加することにした。
彼らは裏山へ向かい、例の壺を探し始めた。
数時間後、彼らは古びた壺を発見した。
「これが赤い練の壺だ!」と誰かが叫んだ。
青年たちはその場で壺を開け、中から赤い液体がこぼれ出すのを見た。
このままではいけないと思った行は、その液体を取り上げようとした。
しかし、自分の意志とは裏腹に、彼もまたその液体を吸い込みたいという気持ちに駆られた。
一口飲んでしまった瞬間、胸の奥に何かが突き刺さるような感覚がした。
次の瞬間、彼の目の前には、自分の過去が映し出されていた。
サラリーマン時代の忙しさや周囲とのトラブルが次々と流れ込み、彼はそれにおぼれていった。
そして、彼にはもう戻ることができない道が見えたのだ。
行は怯え、走り去ろうとしたが、村に帰ることができないような錯覚にとらわれた。
友人たちの声が頭の中で反響し続け、彼らも同じ運命をたどるのだと理解した。
「戻れない、戻れない…」という声が、村の裏山に響いた。
行は何度も試みたが、周囲の景色は変わり、村の姿はもう見えなかった。
彼の心には、辛い過去の償いを果たすことができる舞台はもう存在しなかった。
全てが終わった後、行は一人で村に帰ることにした。
しかし、彼の目の前には何もかもが変わり果てた風景が広がっていた。
通りすがりの村人たちも、彼を知っているわけではないようだった。
「行くべき場所は、もうないんだろうか…」と彼は呟き、再び赤い練の呪縛に引き戻されることを願うのだった。
彼の心の中の謎は、永遠に解けることはなかった。