「名もなき声」

廃墟となった町外れの小学校は、誰も近づかない場所として知られていた。
集まる噂の中には、そこで何か不気味な現象が頻繁に起こるというものがあった。
特に、放課後に一人でその校舎に残ると、聞こえてくる「声」が恐れられた。
その声は、まるで誰かが自分の名を呼んでいるようだった。

ある晩、大学生の健太は、友人たちからの挑戦を受けて、その廃校に足を踏み入れた。
薄暗い廊下を進むにつれ、彼の胸には緊張感が広がっていく。
周囲は静まり返っていて、彼の足音だけが響いていた。
彼は恐れながらも好奇心を抑えきれず、次第に奥へと進んでいった。

廃校の教室の一つにたどり着くと、そこには崩れかけた机や椅子が散乱し、その中央には一つの古びた黒板があった。
健太が近づくと、不意に耳元で「健太……健太……」という声が聞こえた。
心臓が高鳴る。
彼は周りを見渡したが、誰もいない。
ただ、壁に掛けられた薄暗いポスターの中に、かつての生徒たちの笑顔があった。

その場から逃げ出そうとした瞬間、「健太、帰らないで……」という声がはっきりとした言葉になって彼の耳に届く。
恐怖で足がすくみ、彼は振り返ることができなかった。
しかし、その声の主の存在感は強烈で、まるで目の前に誰かが立っているかのようだった。

思わず、「誰だ!」と叫んでしまった。
すると、教室の影から一人の少女が姿を現した。
彼女の服装は古風で、まるで昔の生徒のようだった。
彼女の顔には、どこか儚げな表情が浮かんでいる。
「私のこと、忘れないで……」と彼女は静かに言った。

「何があったんだ?」健太は問いかけた。
少女は少し黙った後、ゆっくりと口を開いた。
「私はこの学校に通っていた。ある日、事故が起きて……それ以来、私はここにいるの。帰れないの。」彼女の瞳には切なさが宿っていた。

健太は、彼女の言葉に胸が締めつけられる思いをした。
彼もまた、自分が何をするべきかを考え始めた。
「じゃあ、どうすれば帰れるんだ?」 少女は首を振り、「私にはもう希望はない。でも、あなたには未来がある。だから、私のことを思い出して欲しいの」と話した。

その言葉と共に、教室の空気が急に冷たくなった。
健太は恐怖を感じつつも、彼女を助けたい一心で近づいた。
「私が忘れないから!名前は何ていうの?」彼女は微笑みながら、「美香。私を忘れないでほしい」と柔らかい声で答えた。

その瞬間、教室の窓が大きく揺れ、風が吹き込んできた。
健太は身を寄せて彼女の方を見ていたが、彼女の姿が次第に薄れていくのを感じた。
「美香、待って!」彼は叫んだ。
しかし、彼女はただ微笑みながら「ありがとう」と言い、言葉ともに消えていった。

その後、健太は廃校を後にした。
心には美香の姿が残っており、彼女の言葉が耳にこびりついていた。
それ以来、彼は彼女がいたことを決して忘れることはなかった。
そして、時折友人たちとともに、彼女の思い出を話し合った。

彼女の願いが、いつか叶うことを願いながら。

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