彼女の名前は尚子。
尚子は、大学病院で看護師として働く傍ら、家族が病に苦しむ姿を目の当たりにしていた。
特に彼女の弟、達也は幼い頃から喘息に悩まされており、最近では重度のアレルギーによって日常生活にも支障が出ていた。
尚子は弟を救うために、彼のための治療法を必死に探し続けていた。
ある夜、尚子が勤務を終え、帰宅する途中にふと目にしたのは、古びた病院の廃墟だった。
その病院はかつては繁盛していたが、ある事件がきっかけで閉鎖され、以降は人々から忘れ去られていた。
尚子の心の中には、その場所が隠された治療法を握っているのではないかという芽生えがあった。
しかし、彼女の周囲には、その廃病院に入ろうとする者はいなかった。
好奇心と弟への思いから、尚子は廃病院の扉を開けた。
暗闇の中、足音が響く。
見渡すと、無数のカルテが散乱し、思い出の痕跡がそこに残っていた。
尚子は、病院の片隅で見つけた一冊の古いノートを手に取った。
それには、様々な病気に対する治療法や、実験的なアプローチが書かれていた。
しかし、そのノートの奥には、病気を「計」算して、人々の命を奪う方法について記されていた。
尚子は恐怖を感じながらも、次第にその内容に引き寄せられていく。
特に、何かを「救」うために、誰かの「命」を犠牲にするという考えが胸に腫れ上がっていった。
彼女がノートを読み進めるうちに、周囲の空気が一変した。
突然、冷たい風が吹き抜け、廃病院の薄暗い廊下に人影が現れた。
それは、かつてこの病院で命を落とした者たちの怨念だった。
尚子は恐怖で身動きが取れず、立ち尽くすしかなかった。
影たちは尚子に向かって囁く。
「私たちの苦しみを救え。代わりに、あなたの弟を救うことができる。」その言葉は尚子の心に深く響いた。
彼女は迷った。
「果たして、本当に弟を救うために、他人の命を奪うことが正しいのか?」心の奥で葛藤する自分と、その思いに抗えない自分が同居していた。
その瞬間、廃病院の壁が渦巻き、尚子は目の前で様々な病の影が蠢く様子を見た。
周囲が廻り出し、彼女はその中で圧倒されていった。
全ての病が彼女に迫り、その苦しみを直に感じさせてくる。
彼女は恐れを抱き、立ち去ることを決意したが、怨念たちがその足を止めさせた。
両手をかざして立ち尽くす尚子。
彼女の中で何かが決壊し、まるでループの中にいるような感覚が返ってきた。
自分が選ぼうとする道が、他者にとっての「悪」になるのではないかという恐怖。
何が正しいのか、誰を助けるべきか、尚子はもう分からなかった。
その時、ふと耳にした声。
「あなたは選ぶことが責任。だからこそ、どちらを選んでも、心の中で誠実であり続けて。」彼女は思わず目を閉じ、自分の心に問いかける。
「私は、どちらを選ぶのか?」
目を開けた尚子は、廃病院を後にした。
救うべき者を見つけるには、まず自分の心を整理しなければならないことに気づいた。
家に帰った尚子は、改めて弟のための治療法を考える。
彼女の心には、他人の命を奪うのではなく、全ての命を守る方法を見つけたいという思いが灯っていた。
しばらくして、達也の治療法を見つけた尚子。
彼女の心には安堵が広がり、あの日の廃病院の影は次第に薄れていった。
しかし、彼女の背後には、今でも病の影が廻っていることを、彼女は決して忘れることはなかった。