「人形が呼ぶ湿った影」

ひとひらの霧が立ち込める湿った山道を、佐藤駿は黙々と歩いていた。
そこはかつては賑わいを見せた村の名残で、今は人の気配も薄い。
月明かりがほんのりと道を照らす中、駿は何かに導かれるように進み続けていた。

数年前、彼の元に届いた一通の手紙が、彼をこの地に呼び寄せた。
その手紙には、亡き祖母がかつてこの村に住んでいたこと、そして彼女が大切にしていた手作りの人形がこの村に埋まっているという話が記されていた。
駿は、その人形を探すことを決意し、湿った風に身を委ねながら一路、村の跡地へと向かっていた。

村の入り口に差し掛かると、周囲の空気が一変する。
薄暗い木々の隙間から漏れる光が、まるで彼を牽制するかのように感じられた。
駿は心の奥底に強烈な不安を抱えながらも、意を決して村に足を踏み入れる。
ひんやりとした空気が彼の背筋を撫で、何かの気配を感じ取る。
だが、振り返っても何もない。
彼はさらに進み、村の中心部へと向かって行った。

村の広場には、朽ち果てた神社がひっそりと佇んでいた。
駿は、その神社の裏手にある古い井戸に目をやる。
村の人々が長年敬っていた井戸であり、祖母が愛していた場所でもあった。
彼はゆっくりと井戸に近づき、底を覗き込む。
そこには静かに水がたまっており、その水面には月の光が揺らいでいた。

「人形…どこにあるんだろう?」

そう呟いた瞬間、井戸の中から微かに声が響いてくる。
「助けて…」。
驚いた駿は、思わず後ろにひるんだ。
声は、祖母の声のように思えた。
彼の心に波紋が広がる。
迷う気持ちの中で、儀式のように、井戸のそばに自分を留め置く何かを感じた。
「もしかして、何か掘り出せと言っているのかもしれない」と思った彼は、背負ったリュックから小さなシャベルを取り出した。

駿は井戸の周りの土を掘り進める。
その間も、「助けて…」という声は時折耳に響くが、徐々にその声は強まり、周囲の静けさを被い尽くしそうだった。
焦る駿の心は、次第に不安へと飲み込まれていく。
しかし、彼は掘り続けた。

やがて、何か硬いものに触れた。
興奮と共にそれを掘り起こすと、見覚えのある人形が姿を現す。
それは、祖母が安心させるために作った愛らしい人形だった。
駿はそれを手に取り、暗い井戸の深い水面を見つめた。

しかし、表情を失った人形が、駿の心に恐怖を植え付ける。
次の瞬間、声が変わる。
「あなたが私を埋めたの!」その声には、憎しみと悲しみが交錯していた。
駿は後ずさりながら、井戸の周りに不気味な影が立ちこめるのを感じた。
それは、彼の祖母の面影を持っていたが、同時に何か得体の知れないものを纏っていた。

「何も知らずに掘り起こすなんて…いずれ私と一緒に昇ることになるのよ」。
その声は、今や彼の心に刻まれた恐怖となり、逃げ場を失った駿は追われる身となった。
彼を追う影は、湿り気を帯びた足音を立てながら迫ってくる。

気がつけば、駿は村を抜け出そうとしていたが、どこもかしこも同じ風景が広がっている。
彼は何度も道を戻り、恐怖に駆られたまま、ただ影から逃げることしかできなかった。
人形の力に取り憑かれたかのような暗闇に、彼の心が飲まれていった。

自らの無知から訪れた運命は、やがて彼を飲み込み、そして村の一部として、永遠に追い続ける者として昇華するのだろう。
湿った風が、彼の耳元で囁き続ける。
「助けて…あなたも私と一緒に…」。
その声が消えることはなかった。

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