ある寒い冬の夜、灯りの少ない北海道の小さな町に住む佐藤は、友人の倫子と一緒に肝試しに出かけることにした。
二人は噂に聞いた「伝説の古井戸」を訪れることに決めた。
その井戸は、亡くなった者の印を見つけた者は、必ず不幸に見舞われるという言い伝えがあった。
井戸へ向かう途中、二人は静寂に包まれた道を歩いていた。
雪が静かに降り積もり、周囲は淡い光の中に包まれていた。
倫子はその奇妙な雰囲気に不安を覚え、「本当に行くの? こんなところに行かなくても…」とためらった。
だが、佐藤は「大丈夫だよ、ただの話に過ぎないさ。」と笑い飛ばし、先に進むことにした。
古井戸に着くと、そこは苔むした石でできた囲いに覆われ、深い闇が口を開けて待ち受けているようだった。
周囲の木々は薄暗く、不気味な影を落としていた。
佐藤は懐中電灯を手に取り、井戸の中を覗き込むと、底が見えないほどの深さがあり、底からは冷たい風が漏れ出していた。
「何か見える?」と倫子が尋ねると、佐藤は首を振った。
「ただの暗闇だよ。行こう、もう帰ろう。」しかし、その時、ふと気に留まるものがあった。
井戸の縁に近づき、よく見ると、何かの印が掘られているのに気づいた。
それは奇妙な模様で、まるで指の跡のように見えた。
「これ…印じゃない?」倫子が恐る恐る近づいてきた。
「触ってみてもいい?」佐藤はためらったが、「ただの模様だろう、何も起こらないさ。」と促してしまった。
倫子は指先でその印をなぞると、冷たい感触が彼女の手を駆け抜けた。
その瞬間、深い闇の中からひと際大きな音が響いた。
まるで井戸の奥から何かが這い上がってくるような、忌まわしい轟音であった。
彼女の目が恐怖で見開かれた。
「やっぱり帰ろう!」倫子は全力で走り出そうとしたが、足が地面に貼り付いているように動けなかった。
佐藤も混乱して周囲を見回し、「おい、どうしたんだ!」と叫んだが、倫子はその場で立ち尽くした。
その時、井戸の内部から、低い声が響き渡る。
「印を残した者、我を解放せよ…。」佐藤は恐怖に駆られ、振り返って逃げようとするが、何かが彼を引き留める。
気づいた時には、倫子の両目から涙が流れ、彼女の顔は恐怖で歪んでいた。
「佐藤、私の手を離さないで…!」彼女の声は震えていた。
二人はその瞬間、井戸の周囲の空気が変わり、周りの暗闇が濃くなるのを感じた。
恐れに打ちひしがれながらも、佐藤は倫子の手をしっかりと握り返した。
「離れない、お前を守るから…!」彼は深呼吸をし、自分に勇気を与えた。
この恐怖から逃げるのではなく、立ち向かうのだと心に誓った。
その時、突然凄まじい力で倫子の手が引かれ、彼女が井戸に引きずり込まれそうになった。
恐ろしい影が彼女の周りを包み込み、二人は必死で抵抗した。
「お前たちの足を、この井戸に残せ!」暗い声が再び響いた。
佐藤はその言葉に混乱しつつも、倫子を強く引っ張り「絶対に離さない!」と叫んだ。
やがて、倫子の不安定な足元が安定し、彼女は意識を取り戻した。
二人は息を切らしながら、全力で井戸から逃れると、寒空の中に飛び出した。
振り返ると、井戸は静まり返っていた。
彼らはそれ以降、何度も再びその井戸に近づこうとしたが、恐怖が足を引き止め、やがて心に刻まれた印となった。
井戸の向こうに何かが存在するという思いは消えず、彼らはその体験を決して忘れることはなかった。