彼の名前は勇太。
26歳の彼は、忙しい仕事の合間をぬって、久しぶりに故郷の小さな町を訪れることにした。
帰省の目的は、しばらく会っていない祖母のお見舞いだ。
勇太は、子供の頃、祖母の家で過ごした思い出がたくさん詰まっているその町に、心を躍らせながら戻った。
町に着くと、どこか懐かしい風景が広がっていた。
勇太は、自分の幼少期を思い出しながら、祖母の家へ向かう道を歩いていた。
しかし、その道中にふと、何かを感じた。
視線を感じたのだ。
振り返っても誰もいないのに、心の中に不安な気持ちが芽生えてきた。
祖母の家にたどり着いた勇太は、久しぶりに目にする祖母の穏やかな笑顔にほっとした。
彼女は少し弱っていたが、元気そうだった。
勇太は、食事を作る祖母にいろんな話を聞こうとしたが、祖母は何やら不安げな表情を浮かべていた。
そんな彼女の様子が気になったが、勇太は「大丈夫だよ、おばあちゃん」と励ましながら、彼女と過ごす時間を楽しんだ。
夜が更け、静けさが家を包み込み始めた頃、勇太がふと目を覚ますと、何かの音が聞こえてきた。
耳を澄ませると、どこからともなく、「助けて」という声が聞こえる。
驚いた勇太は、路地を挟んである祖母の部屋に向かった。
確認しようとすると、声は次第に彼を呼び寄せているような気配を感じた。
勇太は、心を決めて声の方へ足を運んだ。
暗がりの中、声はますます近くに感じられる。
その声が囁く先には、幼い頃に遊んだ古い井戸があった。
井戸の周りは草に覆われて寂れた様子を見せていた。
勇太は、その声に導かれるようにして井戸の縁に近づく。
「助けて……助けて……」声がさらに強く響く。
誰かが井戸の中にいるのか？ 勇太は恐る恐る井戸を覗き込んだが、真っ暗闇が広がっているだけだった。
しかし、その瞬間、何かが彼の心をつかみ、無意識のうちに井戸の中に手を伸ばしてしまった。
すると、冷たい手が彼の指先に触れてきた。
驚いた勇太はすぐに手を引っ込めたが、心の奥底に「戻らなければ」という強い感情が沸き起こった。
何かが彼を呼んでいる。
無視できない、抗えない力だ。
勇太は井戸の中に引き込まれるような感覚に捉えられ、ただ声に従うしかなかった。
その声は彼の幼少期の記憶に深く結びついていた。
勇太は町で起きた事故、友人が井戸に落ちた思い出を解き放ってしまったのだ。
友人は助けてほしいと勇太に向かって叫んでいた。
彼はその時、どうすることもできなかった「約束」を思い出した。
「戻ってあげるよ……」彼は井戸の中に響く声に言った。
しかし、声は「助けて」から「帰れ」に変わり、彼の心に不安が広がった。
井戸の底には友人の霊が待っている。
この声は彼の罪の意識から生まれたものなのかもしれない。
先に進む勇太は、心の奥で感じていた本当の恐怖が何かに気がついた。
恐ろしいことに、彼はその井戸に向かうことで過去の思い出に直面してしまうこととなった。
「何故、戻らなければならない？」勇太は立ち尽くし、井戸の中に視線を向けた。
影のように見える友人の姿。
薄れゆく意識の中で、彼は目を閉じ、過去を受け入れることを決意した。
やがて、彼の目の前には穏やかな夜の風景が現れた。
果てしない空と山々が広がり、彼は自分の選んだ未来に一歩踏み出すことになった。
しかしその背後には、井戸からの「助けて」という声が、いつまでも消えることはなかった。
彼は、過去から逃れることはできないのだと静かに理解した。
