井の中には、不思議な雰囲気が漂っていた。
自然に囲まれた村の端にあるその井は、古くから「魂を映す場所」として知られていた。
村人たちはその井に近づくことを避け、悪い噂が立つこともしばしばだった。
しかし、若者の中には好奇心から井に興味を持つ者もいた。
ある日、大学生の拓也は友人たちとともに、井を訪れることに決めた。
彼らは軽い気持ちで「ただの噂だろう」と笑い合いながら、井のそばに集まった。
しかし、井の水面は静かに輝き、まるで何かを隠しているかのようだった。
友人の一人、優子が突然つぶやいた。
「この井には昔、亡くなった人たちの魂が映るって言うよ。見てみたい、拓也。」拓也はその言葉に微笑みながらも、心のどこかに不安を感じていた。
しかし、彼はその場の雰囲気に流され、優子に言われるままに井の縁に近づいた。
水面を覗き込むと、最初は自分の姿が映った。
そこに映る自分の顔が、何かに怯えたように見えた。
しかし、次の瞬間、拓也は目の前に見知らぬ女性の姿が浮かんでくるのを目撃した。
彼女は白い着物を身にまとい、どこか悲しげな表情を浮かべていた。
驚いた拓也は、思わず後退りした。
他の友人たちの声も耳に入らず、彼はその女性に目が釘付けになった。
彼女の目は拓也を透かすように見つめ、何かを求めているように感じた。
拓也は自分の心がざわつくのを抑えつつ、彼女に問いかけた。
「あなたは誰ですか?」
すると、その瞬間、井の水面が波立ち、拓也は目が眩んだ。
彼の脳裏には幼い頃の記憶が蘇った。
彼はかつて、忘れていた妹がいたことを思い出した。
妹は幼い頃に病気で亡くなり、その後の生活では彼女の存在が薄れていった。
拓也の心は苦しみに満ちた。
女の姿がさらに鮮明になると、彼女の口が動き始めた。
言葉はなくとも、彼女が伝えたいことが分かった。
彼女の瞳の中には、涙が溜まり、彼を求める悲しみが宿っていた。
「拓也…助けて…」
思わず手を伸ばした拓也だったが、その瞬間、記憶が次々と流れ込んできた。
彼の心の奥底に封じ込めていた妹への自責の念や、何もしてあげられなかった後悔が一気に溢れ出した。
「ごめん、妹…もっとそばにいてあげればよかった」と胸が痛み、涙がこぼれた。
拓也は、井の奥にある過去の出来事に引き寄せられるように、何度も妹を思い出していた。
亡くなる直前まで、妹が彼に求めていたものが何だったのかを知っていたはずなのに、結局何もできなかった。
彼の無力さが深く心に刺さった。
井の女性の姿は次第に薄れ、彼女の顔が歪んでいく。
拓也は必死になって叫んだ。
「君を忘れない。必ず助けに行くから…!」その言葉は無力な響きを持ち、井の中で消え去った。
その日以来、拓也は毎晩夢の中で妹の姿を見続けるようになった。
彼女はいつも悲しげな顔で見つめ、彼の心を捉えて離さなかった。
彼は自分の心を整理するために、妹が生前好きだった場所へ何度も足を運んだ。
それでも、井の中での出来事が彼を蝕み続けていた。
数ヶ月後、拓也は再び井を訪れた。
今度は強い決意を持って、彼は水面に向かって言った。
「ごめんね。私があなたを忘れない限り、あなたは消えない。でも、私も前に進まなきゃならない。」
一瞬、井の奥から微かに笑う声が聞こえたような気がした。
しかし、彼の心には、妹の存在がしっかりと根付いていた。
拓也は彼女の存在を忘れないことを約束し、井を後にした。
彼の中には、過去の痛みを抱えながらも、前に進む力が芽生えていた。