彼は、浜辺での静かな一日を期待していた。
この日、佐藤徹は友人たちと共に海水浴に出かける予定だった。
青空のもと、太陽が照りつける浜辺は人々で賑わっている。
彼らは元気に騒ぎ、波打ち際で笑い合っていた。
徹はその日を「特別な一日」にするつもりだった。
しかし、浜辺の砂に隠されたものは、彼らの楽しみを奪うことになるなんて、誰も想像していなかった。
当日、仲間たちと遊び疲れた徹は、少し離れた沖合から聞こえる声に気づいた。
それは、どこかささやくような声だった。
周囲は騒がしいにもかかわらず、その声だけが鮮明に耳に残った。
「徹、どうしたの?」友人の中村が声をかけるが、徹はその声に聞き入っていた。
「いや、ちょっと…あの声、聞こえるか?」友人たちは首をかしげた。
周囲を見渡しても、その声の正体は見当たらない。
ただ海の波音と、子供たちの歓声が交差しているだけだった。
気づかないうちに、徹は複雑な感情に取り憑かれていた。
海の向こうに、何かが呼んでいるような気がした。
その声に導かれるように、彼は浜から少し離れ、薄暗い岩場に足を進めた。
その瞬間、友人たちの声が遠ざかり、周囲の音が消えた。
まるで時間が止まったかのように、一人だけの世界に入ってしまったのだ。
岩場に辿り着いた徹の目の前に、青白い光が現れた。
そこには、沙のようなものが舞い上がり、一瞬のうちに消えていく不可解な現象があった。
その光は、どこか愛おしいような、不気味なような、彼を引き寄せていた。
そして、そのとき彼は思った。
「これが、あの声の正体なのか…」
夢中になり、光に手を伸ばす徹。
しかし、その瞬間、冷たい波が足元を掴んだ。
驚いて後ろを振り返ると、友人たちが心配そうに彼を見つめていた。
「おい、徹!どこに行ってたんだ!」中村の声が響く。
その声が、徹の意識を現実に呼び戻す。
彼はハッとし、何をしていたのか理解した。
その後、仲間たちは彼を引き戻し、波打ち際で遊ぶことに戻った。
しかし、徹の心には不安が残っていた。
あの光と声は何だったのだろうか?それ以降も、徹はあの声が耳の奥に残り続けていた。
次の日、浜にいたのは徹だけだった。
友人たちは疲れて帰ってしまった。
彼は再び岩場の方へ足を運び、今度はあの光を確かめようとした。
波の音が続く中、彼は再びその光を見る。
そしてその瞬間、今度は不思議な感覚が心を支配した。
彼の内側に何かが芽生え、彼をその場所に留めようとするかのようだった。
突然、視界が揺らぎ、彼はその場から動けなくなった。
背後の海から冷たい風が吹き、彼の耳元で「あの浜においで…」と囁く。
それは今までの声とは違って、もっと迫力のあるものだった。
その瞬間、彼の心は恐怖に包まれ、全身には冷や汗が流れた。
慌てて振り返ると、岩場から出た影が見えた。
それは、行方不明になった人々の姿に見えた。
徹の心には絶望が湧き上がり、「帰ろう…帰らなきゃ」と思ったが、足が動かない。
影はじりじりと近づいてくる。
絶望感が高まりながらも、徹は強く一歩を踏み出す。
その瞬間、周囲が再び静まり返り、彼は浜辺に戻されていた。
浜の光景は変わらず、美しい夏の日の表情をしている。
だが元いた場所には、もう友人たちはいなかった。
風が海から吹き抜け、さっきの影が彼を見つめ返す。
徹は背筋がゾっとして、急いで浜を後にした。
彼の心には、あの青白い光と声が、決して忘れられない記憶として刻まれていた。
そして、浜には決して一人で近づいてはいけないという教訓が残されたのである。
夜の海辺に時折耳に残るはずの波の音も、彼にはもう何か別の音のように聞こえるようになってしまったのだった。